石巻の保育所に遊具を運んできました!パッションあおばボランティアレポート
あざみ野発の被災地ボランティア定期便「パッションあおばプロジェクト」。東日本大震災を契機に「復興の役に立ちたい、それと同時に自分が暮らす地域を盛り上げたい」と、Waveよこはまの有志が立ち上がり、昨年夏から定期的にボランティアバスを出して9回目。6月1日(金)−2日(土)のツアーに参加し、石巻市の3カ所の保育園に、横浜市緑区の幼稚園から譲っていただいた遊具を運んできました。

今年に入ってから、パッションあおばプロジェクトのメンバーたちが、緑区にある幼稚園に足しげく通っていました。3月で閉園になった幼稚園のおもちゃや備品、園庭の大型遊具などを受け取り、洗い、磨き、保管し、引き取り希望者を案内したり……と、ボランティアバスツアー以外にも、精力的に動いている様子でした。

 

「津波で遊具が流されてしまった子どもたちのために使ってほしい」と、幼稚園から託された遊具たち。宮城県内に足を運び、自治体や保育園、幼稚園などに声をかけ、石巻市内の3つの保育所から遊具提供の依頼がありました。

 

バスツアー1週間前の土曜日には、パッションメンバーと、地元の女性たちが集まり、遊具を洗い、干していました。少しでもきれいにして渡したい、自分は現地まで行けないけれどもできることをやりたいと考える人たちが、ボランティアで参加していました。

 

さて、わたくしキタハラは、今回初のボラバス乗車です。実は震災直後の4月に宮城県北部の沿岸地域に足を運んではいたのです。同じ時代の同じ日本の情景とは思えない光景が脳裏に焼き付いていました。

 

それから1年が過ぎ、報道でも被災地の現状を目にすることが少なくなったいま、自分の肌身で、現地の空気と、人々の生活を知りたい、という気持ちがありました。今回のツアーは保育所を回るということで、3歳の子どもを保育園に通わせる母親として、現場の生の声を聞きたかったのもあります。

 

6月1日(金)、深夜22時半。あざみ野の「Taco-nomi」にはなじみの顔、はじめましての方々36名が集っていました。パッションのリーダーは中島優さん。以前、森ノオトでもご自宅のリノベーションをご紹介した方です。

 

23時に出発、途中何度かの休憩をはさみ、目的地の東松島市亀岡地区学習等供給施設(野蒜地区)に到着したのは翌朝7時ごろです。この建物は、体育館の窓枠がなくなり、下地材がむき出しになるなど、津波の爪痕が生々しく残っていました。

 

今回の参加者36名が2つのチームに分かれました。保育所に遊具を届けるチームは、軽トラと乗用車に荷物を積み込み、石巻市へ。ほとんどのメンバーは、野蒜地区の清掃と奥松島のビーチクリーンの作業に向かいました。

 

現地のボランティア受け入れは、東松島を中心に復興支援をしている「サポートチームG」の市原信行さん。パッションのメンバーの中にも市原さんの熱意ある活動に魅せられて、東松島に何度も足を運んでいる人もいます(この時のビーチクリーンのレポートは、パッションあおばプロジェクトのFacebookページ内でご覧いただけます)。

 

 

さて、保育所訪問記です。

 

最初にうかがったのは石巻市の沿岸部に近い鹿妻保育所。途中、石巻市の中心街を通りましたが、更地の多さ、1階の骨組みがむき出しになっている建物、倒れた墓石などが、津波の恐ろしさを物語っていました。

 

大震災発生の2011年3月11日14時46分。鹿妻保育所の子どもたちはちょうどお昼寝の時間でした。日頃から地震への備えをしていたので、建物の被害や落下物などはなく、家具の引き出しが開く程度。保育所にいれば子どもを守れるはずと、余震に備えて、枕元に防災頭巾、着替え、上靴を並べ、布団をかぶって、保護者のお迎えを待っていました。

 

次々に保護者が保育所に到着し、子どもを引き取りました。そして15時20分過ぎに、保育所を後にしたお父さんがすぐに引き返して大声で叫びました。「国道を波が越えた!危ない!逃げろ!!!」と。

 

先生たちは驚きながらも、すぐに支度をして、残った20人の子どもと、職員で、鹿妻山を目指して走り出しました。保育所長の阿部たか子先生は、「一本道に水が押し寄せてくるのが見えました。マンホールがカタカタと動き、子どもたちの足下がぬれ始めました」とその時の緊迫した様子を語ります。

 

夜になって雪が降り始め、地元の方が家をあけ、園児20名と先生20名、その他近隣の方10名と、50名が毛布にくるまりながら、一晩を明かしました。

 

 

 

翌日からは、保護者が引き取りにこられない子どもたちの保育と、避難所になった鹿妻小学校との連携と、当日保護者に引き渡した子どもたち80名の安否確認に明け暮れました。最後の子どものお迎えは1週間後、80名のうち1名が津波の犠牲になりました。

 

「震災後、水も電気もガスも使えず、近くの沢や井戸から生活用水を集めましたが、原発事故の影響でそれも使えなくなりました。携帯電話もつながらない、テレビもない。情報はラジオのみ、あとは人づてに集めるしかありませんでした」(阿部先生)

 

「いちばん大変だったのは……港の冷凍魚が園庭に流れてきたんです。マグロ、カツオ、サバ、イカと、あまりにも多くて、給食のスタッフが“これ、味噌煮にできるんじゃないかしら”と言いながら、魚の種別に並べたりして」。先生方は、「子どもたちが遊べる庭をなんとかしたい!」と、ボランティアの力を借りながら手作業で庭を10cmずつ掘り下げて、新しい土を入れて、ライフラインが復活した4月中旬、ようやく保育の再開にこぎ着けました。

 

 

保育の再開にあたり、「職員たちで何度も何度も子どものケアについて話し合った」と阿部先生。ところが、保育士たちが思った以上に、子どもたちは自然体で非日常的な日常にとけ込んでいったそうです。それでも、余震があると人形を抱えて守ったり、防災無線ごっこが流行ったり、積み木遊びでは仮設住宅を建てるような、以前には見られなかったような遊びも出てきました。

 

「私たちは、子どもを見守るしかないですね。こちらから、震災のことを思い出すようなことは聞きません。震災から1年、子どもたちはものすごく大人になりました。今までに経験したことのないことを、たくさん経験しました。たくさんのお客さんが来て、支援を受けて、お礼を言って……」

 

海に近い保育所はいくつか完全に流されてしまい、鹿妻保育所には近隣からたくさんの園児がやってきました。100人定員から、昨年度は最大150人、そして今年度は134名で保育をおこなっているそうです。いまは園庭にもう一つ1歳児向けの建物を増築しているところです。

 

いま求められるのは、「家庭が安定する復興のあり方」と阿部先生。「家庭を支えていくことが保育の基盤です。仕事がないお父さんやお母さんが多く、そうすると家庭が生活が不安定な状態になってしまう。家庭が揺らぐと子どもに反映してしまうんです」と言います。

 

鹿妻保育所では、たくさんの遊具をお渡ししてきましたが、これらの遊具は、7月に再開予定の渡波保育所にも届けられるそうです。

 

 

次に向かったのは、鹿妻保育所からクルマで1時間ほどの和渕保育所です。山間部のため津波被害はなかったものの、壊滅した中心部から人口が移り、被災自動の受け入れなども行ってきました。

ここには、園庭で使うラインマーカーや石灰をお届けしました。

 

和渕保育所からクルマで10分ほどの桃生新田保育所は、同じ石巻市内でも、2005年に合併で一緒になった旧桃生町にあります。「地震や津波の直接的被害はなかったものの、仮設住宅から通ってくる子どもや職員もいます。また、父兄のなかには、震災で会社がなくなったような方もいます」と、保育士さん。子どものおもちゃやぬいぐるみ、テントなど、とても喜んで受け取ってくださいました。保育士さんから冷たい麦茶と石巻名産の笹かまぼこでおもてなしを受け、宮城の素朴な地域に起こったことを、淡々と、お話いただきました。

 

3カ所に遊具や備品を運び終え、ビーチクリーンの仲間たちと合流する前、JR仙石線の野蒜駅を通りました。

あの日あの時から、時間が止まったままの空間。プラットフォームはコンクリートが隆起して波打ち、電柱は倒れ、駅舎2階の窓ガラスが割れたままで、近くのガードレールはうねるように変形したままでした。

 

 

まだ終わっていない……。

 

 

 

 

 

 

7月6日(土)・7日(日)に、パッションのボランティアバスが出ることになりました。引き続き、東松島市野蒜地域、ならびに奥松島のビーチクリーンをおこなう予定とのことです。奥松島は今年の夏に海開きをして、海水浴を楽しめるビーチに復興しようと、いま、とても頑張っています。宮城県の夏の風物詩を取り戻すお手伝い。6月には小学生も参加して、大活躍しています。

 

8月は3日(土)・4日(日)にもボランティアバスツアーを予定しています。

いずれも保険込みで6000円。金曜日の22時半あざみ野駅前の「Taco-nomi」集合で、24時間後に同じ場所で解散予定です。

復興地支援活動で、自分の住む地域で豊かなつながりが生まれる。パッションあおばプロジェクトの活動を、森ノオトでは今後も応援していきます!

 

 

Information

 

 

パッションあおばプロジェクト(NPO法人Waveよこはま)

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E-mail  passion_aoba@gmail.com

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この記事を書いた人
北原まどか理事長/ローカルメディアデザイン事業部マネージャー/ライター
幼少期より取材や人をつなげるのが好きという根っからの編集者。ローカルニュース記者、環境ライターを経て2009年11月に森ノオトを創刊、3.11を機に持続可能なエネルギー社会をつくることに目覚め、エコで社会を変えるために2013年、NPO法人森ノオトを設立、理事長に。山形出身、2女の母。
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