震災被災地支援やホームレス支援など、社会貢献事業でも知られる徳恩寺。この歴史あるお寺の40代目ご住職・鹿野融完さんに、21世紀の地域のお寺の役割についてうかがいました!
ご先祖様からのいのちのつながりに感謝し、未来の平和を祈る年末年始を
ーー この11月、娘の七五三参りではお世話になりありがとうございました。檀信徒さんによる稚児衣装の着付け、ご住職による護摩祈祷、お寺の皆さんによる撮影など、心温まるおもてなしと心遣いに、家族みんなたいへん感激しました。地域のお寺がこんな風にコミュニティに開かれている姿に、何とも言えない安心感を覚えました。
鹿野融完住職(以下敬称略): ありがとうございます。徳恩寺では地域に開かれた年中行事を大切にしています。特に七五三は、地域のお子さんたちがおおぜい集まるので、檀信徒さんや地域の方々にお手伝いいただきながらの一大行事です。夏休みにはお子さんたちを対象に一泊二日で仏教に親しむ「子坊(こぼん)さん修行会(しゅぎょうえ)」もおこなっています。
徳恩寺は1335年の開山で、恩田の丘で680年の歴史を有します。檀家や地域の皆さんの信仰とご支援を集めここまで続いてこられたのですが、今後100年、200年先のことを見据えた時に、仏教を通じて地域の皆さんが幸せになるお手伝いをすることで、今後も皆さんに必要とされる存在でありたいと強く願っています。
ーー 昨今はお寺とわたしたちの間に距離を感じる時代ですが、徳恩寺は年中行事などで積極的に地域にお寺を開いています。年末年始は大晦日の「除夜の祭り」、元旦の「初詣」とご祈祷が続きますね。除夜の祭りでは広島原爆の残り火を分灯して黙想し、地域の人たちとろうそくの灯の中で年を越す「GRACE こころとともに」を開催されるとのこと。これはどういったお祭りなのですか?
鹿野: 徳恩寺に広島原爆の残り火がやってきたのは1999年のことです。ミレニアム目前に、阪神淡路大震災の支援活動で知り合った神戸元気村の元代表・山田和尚さんが徳恩寺にも平和の灯を受けてほしいと、原爆の残り火を携えてきたのです。山田さんはボランティア活動家、平和活動家、カヌーイストとして多彩な顔を持つ人ですが、阪神淡路大震災の時に現地へボランティアに入って以来の盟友で、山田さんが出家を希望された際は、徳恩寺で得度式(剃髪し袈裟などの衣装を身に着け正式に僧侶としての道を歩むための儀式)を執り行ったご縁があります。1999年から2000年に移るミレニアムを機に、徳恩寺では大晦日に除夜の祭り「GRACE こころとともに」を始めました。大晦日の23時30分より受付を開始し、分灯ろうそくの点灯、内陣では添え護摩を開始し、黙想しながらカウントダウンして穏やかで平和な一年を祈念するという、ミレニアム以来の行事です。
徳恩寺には梵鐘がありません。戦時中の供出で梵鐘を失って以来、除夜の鐘つきができなくなってしまいました。平和の灯の分灯と新年への祈りは、徳恩寺の新しい年越しのスタイルと言えますね。
元旦は午前九時から元旦参拝と新春護摩をおこないます。甘酒接待と添え護摩を受け、その後初詣接待をいたします。肉まん、あんまん、おでん、うどん、鏡酒、コーヒー、お茶などのお接待と、お子様向けには11時からお餅つきをおこないます。徳恩寺の初詣には家族連れでいらっしゃる方がとても多く、当山墓地に眠っておられるご先祖様や、ご位牌堂のご先祖様の霊にご挨拶される檀家さんはじめ、当寺の年中行事に参加された地域の方々が集まり、とても賑やかです。
ーー まさにお寺が地域コミュニティの中核をなしている、そんな風景が目に浮かびます。昔はきっと、どの地域でもそうだったのでしょうね。
鹿野: 現代の仏教は「葬式仏教」と揶揄されるように、葬儀場にお坊さんがやってきてお経をとなえ、あとは法要の時だけしか仏教にふれる機会がない、というご家庭がいまはほとんどだと思います。わたしは、仏教は本質的で本物だと信じており、内ななる修行を通じて人格を高めたり、人間教育の場であり、広くあまねく人々の救済と幸せを願い行動するための一つのきっかけになるものだと思っています。
そのためには、お寺は「開かれた場」であるべきだと思います。私は、これまでお寺の山門を閉じたことはありません。つらいこと、苦しいことがあれば、夜中でもいつでもお寺に来ていただき、そこで泣いていい。私たちが寄り添います。いまは社会全体に不信がはびこっていて、誰もが門扉を閉じ、鍵をかけるような時代ですが、閉じることで人が守られるのか、わからないというのがわたしの実感です。山門を閉じると門の外のことがわからなくなってしまいます。年中行事もそうですが、お寺の活動を外に告知し、お寺が何をしているのか、何のために存在しているのか、地域に必要とされているのか……。それを知り必要としている人に求められるためには「閉じる」ことではなく「開く」ことではないかと思っています。
自分のいのちを他者のために。日々わたしたちができること
ーー 徳恩寺では様々な社会貢献活動もおこなっていますね。東日本大震災では、発災直後の3月14日から現地入りして、いまでも支援活動を続けておられるとか。
鹿野: 震災直後から、檀家さんや地域の方々から物資が集まり、3月14日以降6月いっぱいまでは毎週、いまでは1-2カ月に1回のペースで被災地に通っています。石巻、気仙沼、南三陸など各地で物資の支援、炊き出し、泥出し、家屋の清掃、ご遺体の供養など、現地の要請に応じて多様な活動を行ってきました。12月は餅つきをおこなうほか、落語家を招いて現地で落語会を行うなど、笑顔のための支援もおこなっています。
ーー フットワークの軽さと継続性には驚かされます。そして、40年以上続けておられる横浜・寿町のホームレス支援。徳恩寺の境内には寿町で亡くなり無縁仏になった方々の共同墓地「千秋の丘」もあるそうですね。
鹿野: わたしの僧侶としての原点は、実は寿町にあります。わたしが頭を丸めたのは4歳の時。初仕事は寿町での托鉢でした。4歳から6歳までの2年間、週末ごとに寿町の街角に立ち集めたお金で、寿町の近くにお地蔵様を建てることになりました。
寿町に暮らす方々の多くは、地方から出稼ぎなどで上京し、建設現場などでの日雇い労働者として働き、「ドヤ」(日雇い労働者のための簡易宿泊所。宿を逆に読む)に住み着いています。日々の生活は苦しく生活保護で暮らす人もいます。借金などで夜逃げ同然で家族と離れるなどして故郷を失った方が多く、経済的にも困窮しているので常に死と隣り合わせと言えるかもしれません。寿の皆さんは、多かれ少なかれ「自分が亡くなった後はどうなるのか、心配している」。ふるさとを捨て、失った人たちはみな、望郷の念で故郷や家族に詫びながら亡くなっていきます。徳恩寺では先代から、寿町で暮らす方が亡くなった時にはお布施を受け取らずに通夜・葬式・法要を行っています。
徳恩寺に千秋の丘が建ったのは1991年のことです。寿町で亡くなった無縁仏の方の共同墓地で、日本三大日雇い労働者の街である東京・山谷の方々も眠っています。生きている時は生活苦にあえぎ、社会のなかでさんざん虐げられてきた人たちですが、彼らの働きがあったからこそ横浜の発展があるのです。「最後には徳恩寺に行けるから安心だよ」と言ってくださる方々も多く、僧侶としては心からの満足を得てお経を唱えています。
私は4歳から寿町に関わり、荒れていた時代の寿町も知っていますが、いまはバックパッカーなどの短期滞在者を呼び込もうと地域活性化も進んでいます。ただ、貧困や格差の問題はいまもなくなってはいません。若い人の貧困など、寿が抱え続けてきた問題は誰にとっても他人事ではなくなってきています。いまだからこそ、お寺の存在意義が問われていると思います。
ーー いまの時代、さまざまな新興宗教やスピリチュアル、ヒーリングなど、人々が聖的な存在を求めるというか、宗教観も多様化していますが、こんな時だからこそ日本人の生活に古来より根づいてきた仏教についてどうとらえたらいいのでしょうか?
鹿野: 難しい質問ですね(笑)。仏教について深く語るならばそれこそ多くの時間を必要としますから。簡単に説明するなら、いま日本に広まっている「大乗仏教」は、「大きな船にみんなで一緒に乗って川を渡りましょう」という考えで、自分が修行をして自分だけが救われるのではない、強者も弱者もみんな一緒に救われる「他者救済」の教えと言えます。
日本人は無宗教とされますが、私はむしろ日本人ほど宗教が好きな民族はないと思っています。神社への初詣にはじまり、クリスマスはキリスト教式で祝い、お葬式や法要は仏教で、昔から八百万の神々といって自然と一体になった宗教観も持っていますし。宗教の派を超えて「Something Great」の存在を認めているからこそ、日本は世界的にみて平和な国なのだと思います。
それを日常に落とし込むと、家族の健康のために何をするか。困っている友人のために何か手伝えるか。「他者のために自分が何をしてさしあげられるか」といった謙虚さから生まれる行いで自分の存在意義が確立して自分を満足する、それが本質的な癒しにつながるものだと思います。
仏教は本物ではあるけれども唯一ではない。その人の持つ素地に、他者のための何かを上乗せできるきっかけを提供できる場に徳恩寺がなれば。そして、仏教を通じて皆さんが幸せになるために貢献できれば……それが私の、坊さんとしての野心かもしれません。
□取材を終えて……
キタハラが鹿野住職に初めて会ったのはいまから5年ほど前、雑誌『田園都市生活』の初詣特集の取材でした。明朗快活なお話に「この方は起業家としてもきっと成功するだろうな」という印象を抱きました。今回の取材の最後にご住職も「お寺も淘汰の時代。生き残るためには外に向かって発信していく必要がある。それを営業という人もいるでしょうね」とおっしゃっていましたが、同感しました。いまは、必要とされる価値を生み出し発信していかなければ、持続可能な存在でい続けることは難しい時代です。
わたしは元々、大学時代は社会福祉を専攻しており、ゼミの教授は寿町で10年日雇い労働者のために、その後は虐待された子どもたちのために福祉の現場で生きてきた人です。大学時代に寿の人を知り関心を持ち続けていたのですが、4年前に山谷のホスピスを取材した時に、鹿野住職の活動を知りました。鹿野住職は檀家さんが亡くなった時は夜中でもその場にうかがい故人にお経をあげるそうで、寿町で無縁仏になった方にも等しくおこなっているとのこと。こういった活動は表に華々しく出ることはなく、お寺でも大きく広報しているわけではないのですが、そうした土台一つひとつが、徳恩寺に人が集まり、人に求められる理由なのだな、と思いました。
「政治や宗教に対してニュートラル!」と公言している森ノオトですが、年の末、最後の記事に徳恩寺の鹿野融完住職のインタビューをもってきたのには、わたしなりの理由があります。それぞれの人が、それぞれの持ち場で、それぞれの行いを。自分だけでなく周りの他者も幸せになれるように……。
鹿野融完(かの・ゆうかん)
1970年生まれ。1335年開山の高野山真言宗摩尼山延壽院(まにさんえんじゅいん)徳恩寺の40代住職。地域に開かれたお寺として、数多くの年中行事や、社会貢献活動をおこなう。東日本大震災被災地の支援活動を行うほか、石巻NPO連絡会議、全真言国際救援機構事務局員。
徳恩寺
横浜市青葉区恩田町1892
TEL 045-961-6593
E-mail info@tokuonji.jp
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