キタハラが「green.jp」を知ったのは森ノオトを創刊して間もない2010年2月のこと。green drinks Yokohamaが開かれた時に、1歳になったばかりの娘を連れて参加しました。ちょうどTwitterやFacebookを使い始め、ソーシャルでつながるおもしろさを感じ始めていたタイミングで、私はその時にジアス・ニュースと出会い日本全国の「ローカルエネルギー」の連載を始めることに。グリーンズは読者として楽しむようになりました。当時のグリーンズは、私の目からするとまさに上げ潮で、同世代の若者たちが環境やソーシャルの分野で大きなプロジェクトを動かしている姿はまばゆいばかりのものでした。
「グリーンズは株式会社からNPO法人になります」と、友人でもある編集長の兼松佳宏(Yosh)さんに聞いた時は、驚きました。事業もうまく回っているように見えたし、なぜ今、わざわざ、NPOなんだろう、と不思議でした。2012年春のことだったと思います。当時私は、森ノオトをNPOにしようと勉強を始めたところ。だけど周りからは、「NPOは書類の提出が多くて面倒だよ」「税制的に優遇されるけど制約も多くて動きにくいよ」「一般社団法人が設立も運営もラクだよ」などと色々な人から言われ、組織を持つことに対する軸がグラグラしていました。
ようやく、グリーンズの代表理事で発行人でもある鈴木菜央さんとお会いできたのは、2013年12月6日。誠実に言葉を選ぶ人だなあ、といつも舞台の下から眺めていた菜央さんと、ようやく同じ土壌で挨拶できました。たまプラーザのオーガニックカフェ・ソワ[礎・波]に、千葉のいすみ市から足を運んでいただきました。次世代郊外まちづくり「住民創発プロジェクト」の学びの活動支援部門で?、市民メディアを事業として成り立たせるためのノウハウを学びたいと、菜央さんをお呼びしての勉強会を企画したのです。
グリーンズ創刊時のコンセプトは「エコすごい未来がやってくる」。進行する温暖化やエネルギー問題、社会では貧富の格差や殺伐とした無関心層が増え、暗いニュースが多かった2006年当時、「じゃあ、どうすればいいの?」という問いにポジティブな解決策、つまりグッドアイデアを伝えるメディアは数少なかったように思います。菜央さんは「幸せに生きるためには、ecologyやsustainabilityなんて当たり前。一人ひとりが主役になって、自分が心の底からやりたいことを実現できる社会をつくろう」と考えていたそうです。こうしたスタンスはのちに「ソーシャルデザイン」と呼ばれ、現在の「ほしい未来は自分でつくろう」というグリーンズのコンセプトに受け継がれています。
私が「イケイケ」と見ていたグリーンズを運営していた2010年当時、菜央さんは働き方、生き方の変革を試みていた時でした。グリーンズを回すために企業の環境報告書やウェブサイトの制作など、大型の制作案件を抱えてタスクに追われる毎日。LLP時代の自転車操業からクルマのごとき馬力を得たのに、会社の仲間たちはギスギスし、幸せをつくるためにメディアを運営しているはずなのに、楽しくない……。
震災以降、渋滞をものともせず軽やかに街を駆け抜ける自転車が注目を集めました。「僕たちは株式会社というクルマを降り、NPOという自転車に乗り換え、支出を減らして小さくてもやりたいことでコツコツお金をつくる、自転車経営にしたんです」と菜央さん。ファンと密にコミュニケーションをはかり、共感や応援をベースに寄付を集めてメディア運営の核にする、NPO法人として2012年、グリーンズは生まれ変わったのです。
今、グリーンズはNPO会員の寄付、そしてグリーンズの編集方針に共感しての広告や、グリーンズらしさを生かせるタイアップ型の制作案件など、「グリーンズだからこそ生み出せるsome money」で組織を動かしています。
全国からライターが集まり、グリーンズを理解し、そのライターが「自分で書きたい!」記事が、きちんとグリーンズブランドに納まっている。お金にモノを言わせてコントロールするやり方ではなく、人間的な信頼関係とコミュニケーションから生まれる「本気の記事」ばかりが集まるようになりました。
「グリーンズの編集方針は、情報を伝えることではなく、読んだ人の心が揺さぶられ、いかに行動につながるかなんです」と、菜央さん。いわゆるウェブメディアという「飛び道具」だけでは足りず、リアルで人が出会い、動く場としての「コミュニティ」の大切さを指摘します。
グリーンズのコミュニティは、まさに私も参加したgreen drinksで、全国各地で自発的に広がっています。ほかにも、震災後に広がったご当地電力を「わたしたち電力」としてまとめムーブメント化したり、エネルギーをきっかけに関心が高まった政治や選挙を語る対話の場「せんきょCAMP」など、動きを束ねる活動も行っています。
「活動の現場が魅力的だったら、たとえメディアでの発信が貧弱でも、人は集まってきます。リアルの場を盛り上げることが、結果的にウェブが盛り上がることにつながります」
グリーンズが紹介した藤野電力には、私たち森ノオトのエネルギー部も足を運び、ノウハウを学びました。エネルギーを手づくりして、楽しく広げ、利益は地域に還元する。藤野電力がオープンソースにしている手づくりソーラーシステムは、森ノオトでは「主婦目線」を加え、青葉区エリアで仲間を増やしています。そう、まさに自由な生態系のように、自発的に広がっているのです。
菜央さんは勉強会の中で「生態系」という言葉を何度も使いました。メディア(グリーンズ)も、コミュニティ(green drinksなど)も、ムーブメント(せんきょCAMPやわたしたち電力)、そしてsome moneyを得るためのビジネスも、関わるメンバーそれぞれが持っている経験やリソースをどんどんつなげ、幸せを生み出す濃密な価値の交換を、公明正大に示していく。淡々と続く仕組みをつくっていけば、それぞれが自発的に、自律して、勝手に育ち動いていくようになる、と。
「ウェブメディアは木のようなもの。こんもりとしていて素敵な木だったら、向こうからいろんな生物がやってくる。いかに回りの生態系を豊かにして、そのコミュニティで幸せな価値の交換が行われるか……」
そんなグリーンズの「今」に、私たちが日々森ノオトで語っている「みんなの幸せをシェアする一つの手段がメディア」「私たちが暮らす社会は森のようなもの。私たちは自然の循環の一部」というイメージが合致する気がして、なんだか、とてもうれしくなりました。
森ノオトの認知度が高まり、関わる人も増え、でも経済的に先が見えなかった森ノオトNPO法人化1年目の年末、事業資金を得るためにあえて乗ろうとしていた「クルマ」を、必要ないと言い切ってくれた菜央さん。森ノオトの仲間たちが何を本当に求めているのか、どうしたら幸せになれるのか、それを考え続け仲間と議論し、一緒に創っていくことが私の役割なんだな、と思いました。……そう、私たちは軽やかなママチャリ営業でいいんだ、と確信が持てました。あ、青葉区は、坂道が多いです。エレキガールがつくったソーラーの電気をためて、電チャリで動きます。
「菜央さんは、仲間とものすごく議論を重ね、考えてきた先の言葉だったね。私たちも、もっと仲間同士で語り合いたいね」
「ハコ(メディアや場所)を持って中身を埋めるんじゃなくて、一つひとつの活動を育て力づける。それがメディアになってくる。本人たちが情報を発信したくなるベクトルをまとめあげる方が、最終的にはコミュニティを育てることになるね」
勉強会の終了後、仲間たちは口々に、それぞれの言葉で、メディアから生まれるコミュニティづくりについて語っていました。
徹底的にローカル、地縁型だけど「エコ」というテーマ型コミュニティでもある森ノオト。こんもりとした、たおやかでやさしい、いいにおいがする「森」を育むことに、力を注いでいこうと思います。
グリーンズは読者数も事業規模も注目度も、森ノオトの10倍以上の大きなメディアです。肩の力が抜けてやさしい空気をまとっている菜央さんの著書『「ほしい未来」は自分の手でつくる』には、この記事でご紹介したプロセスが詳細に語られています。
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