梶ヶ谷、または溝の口からバスで10分ほど、宮前区神木本町に神木山等覚院(しぼくさん とうがいくいん)という古刹があります。つつじ寺として知られ、春先、千株とも言われる見事なつつじが境内をあでやかに彩ります。江戸時代末期に植えられたと言われるつつじの古木は、地元の信者さんの手により挿し木で増やし育てられてきました。
壮麗な山門の偉容には、きっと誰もが驚くはず。この近辺でも屈指の大きさではないでしょうか。参道の階段を上ると、とても清々しい空気で満ちあふれています。
日本武尊の東征の折、疲労困憊してのどの渇きを覚えた時に、この地に鶴が降り立ちました。日本武尊は清らかな冷泉があると知り、この地の水でのどを潤し英気を養って、そのお礼に一本の木を植えたそうです。それが「神木」の地名となり、等覚院の縁起になっているそうです。神木山をいただく長尾の緑地は、里山の中でも生物多様性に富んだ、自然豊かな土地です。
「こんにちは。エレックです」
そう言って現れたのは、等覚院の中島光信さんです。名刺には「僧侶・ファシリテーター」と書いてあります。いかにもおもしろそうな人!
実は森ノオトのリポーター・松山ちかこさんの友人で、キタハラにとっても環境活動での共通の仲間が多い縁ある方。それにしても、なぜエレック?
「名前が光信(こうしん)でしょう。光=エレクトリックからエレックになったのですが、後から考えてみるとエレクトリックって電気のことじゃないか、って(笑)!」
NPO法が成立し日本でも社会・環境活動が盛んになったころに学生時代を過ごしたエレックは、音楽好きが高じてイベントスタッフなどの活動に精を出すようになります。彼が参加していたのは「A SEED JAPAN」という国際環境NGO。アースデイ東京やフジロックフェスティバルなどの大きなイベントで、ゴミを出さないリユース食器の運営やゴミ分別の徹底を呼びかける「ゴミゼロステーション」、使わなくなった携帯電話を回収してレアメタル(希少金属資源)を売却しコンゴのゴリラ保護に寄付する「ケータイゴリラ」など、様々な活動で知られます。
エレックは環境活動の仲間たちに「実家、寺なの? メチャクチャおもしろいじゃん!」「寺とか仏教とか超いい感じ!」と言われ、自然とお寺での働きに興味が向くようになります。
「自分にはお寺という箱(場)がある。昔から存在していて、生死のすべてを見てきたお寺で、仏教や日本の風土、精神性についてのワークショップをやったらおもしろいかな、と思って」と、A SEED JAPANの活動で出会ったファシリテーターの青木将幸さんを迎え、お寺で様々なイベントを開催するようになったエレック。
例えば……
「お盆の風習は日本全国で様々ですが、参加者それぞれの田舎のお盆での作法を語っていただき、“自分が亡くなった側だったら子孫に何を伝えたいですか?”“目の前に亡くなったおじいちゃんが現れたらどんな話をしたい”などをグループで語り合います」
「年末には“煩悩108連発!”をテーマにワークショップをしたことも。国内外の主な出来事をおさらいしながら、それぞれが1年を振り返り、グループで“煩悩曼荼羅”をつくりました。年の瀬に1年を振り返るいい機会になりました」
「初詣ワークもやりましたね。日本の暦について知り参加者一人ひとりが今年の目標を立てました。それから、今となっては珍しい福笑いや羽子板遊び、双六といった昔ながらのお正月の遊びを楽しみました」
エレックの話を聞くだけで、ワクワクしてきます。楽しみながら「どう生きるか」を自分自身に問う仕掛けが用意されているのは、お寺ならではと言えるのかも(ちなみにちかちゃんはこのワークショップのお手伝いをしていたそうです)。
すっかり打ち解けて、かねてから宗教家に聞いてみたいと思っていた質問をエレックに投げかけました。
「新興宗教やスピリチュアルと、仏教やキリスト教などの古くからある宗教って、どう違うんでしょうか」
……これには、さすがのエレックも困った表情でした。私の疑問とは、伝統的な仏教やキリスト教、日本古来の八百万の神々への信仰には素直に気持ちが向くし、スピリチュアルな事象に対しても否定的にとらえてはいないのですが、新興宗教やスピリチュアルビジネスにはなぜか嫌悪感を抱いている、その違いをうまく説明できないというもの。私の問いを一つひとつ解きほぐしながら、エレックはこう答えてくれました。
「今は憲法で信教の自由と政教分離が定められています。昔は生まれ育った環境の中で伝統宗教が根付いていましたが、今では子どもたちが宗教との関わり方を知らずに育つので、宗教へのリテラシーが育まれないまま大人になって、何か困った時や悩んだ時に、宣伝が上手なところに流されてしまうのではないでしょうか」
宗教リテラシーかあ! なるほど、腑に落ちたような気がします。
幼いころからおばあちゃんが朝晩仏壇に向かって手を合わせ、仏様のお水を取り替えている様子を目にしている。お盆の頃に茄子やキュウリで馬をつくり、迎え火や送り火を焚く。お彼岸のころにはご先祖様のお墓に参り掃除をし、お線香を上げお花を飾る。こうした、目には見えないけれども自分を形作っている歴史、ご先祖様への供養や感謝の気持ちを、伝統宗教の作法を生活のなかで自然に感じ取っていた昔と今では、確かに暮らし向きも大きく異なります。同時に、地縁型コミュニティへの帰属意識も薄れていきました。
以前、『オオカミの護符』という映画の紹介で、宮前区には御岳信仰(山岳信仰)の講(こう:地域での信仰を元に結びついたコミュニティ)が今なお残ることをご紹介しました。お寺への信仰もまた共通するものがあり、地域の心のよすがとして、伝統宗教が地域の文化や風習に影響してきたことは間違いありません。
日本の暦には、季節のうつろいの中で様々な行事があります。そのどれもが、豊作や健康長寿、無病息災への祈願など、生きる希望、祈りとつながっています。まさに地域コミュニティの中での生活の基盤、心の根っことも言えるものです。
昔とは同じようにはできないかもしれないけど、これだけ人と人がつながりを求めている今、私たちには、そしてお寺には、何ができるのでしょうか。
「等覚院では子ども座禅会を長きにわたって行っています。小さなころに静粛な場に座る経験がある子は、きっと何かが変わってくると思うんです」(エレック)
年の終わりに、つらつらと、宗教観、地域コミュニティについて語り合った、キタハラとエレック。「来年、一緒に何かやりましょう」と言って固く握手を交わしました。
帰り際、本堂に立ち寄りました。ご本尊のお不動様は秘仏で、「神木不動」といって古くは江戸からの参拝者が後を絶たなかったそうです。正面のお薬師様は元旦から八日までご開帳され、病気平癒にご加護があるとのこと。ご本尊の右には毘沙門様(お釈迦様のボディガード)、左には阿弥陀如来様(後生、来世の仏様)。等覚院の本堂は、過去、現在、未来を邂逅できる場とも言えます。
お年始の元旦初護摩、立春の豆まき、ぜひ、地元のお寺で、地域の根っこを感じながら過ごしませんか。
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