相模鉄道いずみ野線の弥生台駅から徒歩1分、「レストラン ペタル ドゥ サクラ」があります。そこのオーナーシェフ、難波秀行さんは濱の料理人の副代表を務め、地産地消に力を注いでいる方です。
真っ白なコックコートに黒いパンツ、ぴかぴかの革靴をまとった難波さんはさわやかな笑顔で迎えてくれました。
隙あらば畑に行きたい
「1日に4~5軒の農家さんのところへ通います」と難波さん。
1日に4~5軒と、さらりとおっしゃいますが、毎日のことです。生産者から食材をお店に届けてもらうことは簡単に想像できますが、忙しいシェフが畑に毎日通うという言葉に、それが本当に実現可能なのか、ちょっと見当がつきません。
難波さんは続けます。
「契約農家さんですかと聞かれるけれど、書面で契約しているわけじゃない。いつの間にかお付き合いを重ねて、深くなっている感じですね。週に2回以上は牛乳を求めて相澤良牧場(瀬谷区)へ行きますし、他にも泉区にいくつか農家さんがあるので朝8時から10時の間で回っています。ちょっと長話しているとあっという間に時間がたっちゃって、お昼の仕込みの時間に遅れるかもと焦るほどです」
難波さんは仕事を終えてさらに書類仕事。帰宅は日付が変わってから。そして、翌朝は7時に起床するという生活です。
過密なスケジュールの中で畑に行くの大変ですね、とつい出た言葉に、
「そうですか? 僕は農家さんや畑が好きなんです。だから隙あらば畑に行きたいと考えています」とにっこり笑う難波さん。
難波さんをここまで惹きつける畑の魅力はなんでしょうか?
「おつきあいのある相澤良牧場の相澤広司さんに、以前、金柑がほしいって言ったんです。そしたら(金柑を)世話しているおばあちゃんに聞いてって。それで、おばあちゃんに聞いたら、“コンポート(シロップ煮)用に収穫するから待って”って。で、今度はおばあちゃんが“コンポートがうまくいかなかったからレシピ教えて”って。それで僕がレシピを伝えて、金柑を収穫しました」と相澤さんご家族とのエピソードをコミカルに語る難波さん。
その言葉の端々に相澤さんとそのご家族への親しみが感じられます。
お話を伺うなかで、「畑に通うのが好き、農家さんと話すのが好き」という難波さんの気持ちが私にも少しわかってきました。
食材のストーリーを知ること
難波さんが牛乳を購入している相澤良牧場を訪れると、牛舎の屋根の下で、夏の暑さをしのぐ牛たちがいました。取材で訪れた私たちに牛を見せようと、相澤さんは、いつもはあまり与えない飼料をもってきてくれました。暑さで外に出たくないけれど、珍しい飼料につられて日陰から出てくる愛らしい牛たち。この牛たちはまだ若く、人工授精を待っている時だそうです。牛乳という普段の食材が本当に牛の乳であることが実感としてわいてきました。
農家さんとの会話から、レシピのヒントが生まれるという難波さん。
「例えば、相澤さんは牛乳をパスチャライズ製法(低温殺菌)していて、牛乳の風味や香りを残すよう処理しているんです。となると、僕がここでぐつぐつ煮るような料理、ベシャメルソース(ホワイトソース)とかに使ってはいけないだろうと。低温で極力、火を入れないようなものって考えて、シンプルなプリンに行き着きました。そして、その牛乳に合う、衛生的にもクオリティ的にもいい卵を探して、たどり着いたのが織茂養鶏場の卵でした」
さらに難波さんは語ります。
「農家さんとつくるものって似ているなって思いますよ。矢澤農園の矢澤秀之さんはリンゴをA品とB品と、几帳面に選別されますし、織茂養鶏場の織茂武雄さんも丁寧な仕事をされます」と難波さん。作り手との交流が深まるなかで、食材への理解も広がります。
農家さんの「勝手にとっていいよ」
畑を訪れる難波さんに、「勝手にとっていいよ」と農家さんはお任せの一言。
この言葉に、農家さんが難波さんに寄せる絶大な信頼を感じます。
「畑は一見何にもないように見えるところでも種をまいたり耕したりして、歩いちゃいけないところがある。ハーブ一つをとるのでも、茎の先からとるもの、根っこごと引き抜くもの、農家さんのやり方やハーブの特性によっても変わってきます。今まで、一つひとつ農家さんから教えてもらってきました」と難波さん。
畑のマナーも、作物の収穫法もマスターしている難波さんだからこその「勝手に」なのだと、難波さんの畑作法の熟知度までわかってきました。
明るい人柄で、農家さんと信頼関係を順調に築いている難波さんにも、初めてがあり、失敗もあるようです。
「愛読しているハーブの本に農家さんのことが書かれてあったんです。その本に載っている住所を頼りに畑に向かって、その前をうろついて、意を決して農家さんに“今、畑の前にいるんです“と電話したことがありました。初めて会う農家さんは緊張しますよね。友好的な方もいれば、料理人が畑にいくことが珍しかったちょっと昔までは“なんだ、おまえは“という方もいらっしゃいましたね。種とり用に農家さんがとっておいた立派なオクラを間違って、切り取ってしまった失敗もしました。今では確認してから収穫しますよ」と教えてくれました。
地産地消のはじまり
「ペタル ドゥ サクラ」では、レストランで賄う食材の約9割を近隣の生産者から仕入れています。
いつごろから地産地消を意識されるようになったのでしょうか?
「はっきり意識するようになったのは2009年にミクニヨコハマを任された時。オーナーの三國清三より、メニューに地産地消を取り入れるようアドバイスをもらってからです。そのころ、同じビルで働いていた椿直樹さん(濱の料理人代表)とも知り合ったんですよ。
よくよく考えてみれば、東京やフランスでの修業時代にも、当たり前のように師匠が農家さんのところに行くのを見てきました。シェフが畑に行くことが珍しくない環境にいて、“シェフとは畑に行くものだ”と言われて料理人として育ちました」(難波さん)
料理人歴26年になる難波さんは、自身を振り返りながら言葉を続けます。
「普通、料理人はキッチンやデスクでレシピを考えます。例えば秋ならモンブラン。届けられた栗で料理する。でも、農家さんのところに行けば、栗もいろいろ品種があるとか、栗の見分け方とかサイズやコンディションが違えば料理法も違って、農家さんはそれぞれで焼いたり、蒸したり、栗ご飯にしたり。栗がないときは、農家さんが寝かせていた甘いサツマイモでモンブランを作るとか……。いくらでも世界は広がります。それに、メニューを考えるというより、今日みたいにイチジクをたくさんもらうと、目の前にある食材に対して考える必要が出てくるんです(笑)」
そして、尊敬するシェフがみな、キッチンを出て畑で食材を得ていたという難波さんは、若い料理人にも畑に出て農家さんと関わり、広い視野で料理を作ってほしいと願っています。
難波さんの横浜フレンチ
畑に通い、新鮮な食材で繊細な調理をほどこす難波さんのお料理をぜひ味わってみたいところですが、料理撮影日に都合がつかず、私は残念ながら口にすることができていません。
撮影に同行した北原まどか編集長に聞いたところ、
「難波さんの料理は科学的だなって。例えばあのお肉(やまゆりポーク)は、味付けは塩糀のみ、最初に表面だけ焼き(リソレ)、あとはじっくり真空調理したもので、ものすごく分厚かったけれど、びっくりするほどやわらかく、しっとりとしてたの。周りにある花々や葉っぱは、クラシックバレエの舞台を見ているかのようで、味付けしてあるものも、そうでないものも、それぞれがなくてはならない重要な役割を演じて、繊細に輝いていたよ」とのこと。
聞いているだけで、食べてみたい。北原編集長の「科学的」というコメントに難波さんの言葉がよみがえります。
「プリンはぎりぎりの固さで作っています。口の中でぽろっと崩れてほしいんですよね。舌の上ではじめて広がって、口の中の熱で卵黄と牛乳が液体になるくらいの固さだと、舌全体で感じられて香りが鼻にぬける。これが固いと舌で味を感じる前に飲み込んじゃうんですよ。糖度も大事です。甘すぎると牛乳の風味を殺してしまうし、少なすぎると、浸透圧が低くなるので甘みとか風味をキャッチできない」
プリンを味わうことに、こんなに細やかな表現があるんでしょうか。
難波さんは五感のすべてを駆使して、レシピを組み立てているようです。
太陽の光を浴び、大地に根をはり、すくすくと育つ作物は、収穫の瞬間、強い芳香を放ち、小さな棘が肌を刺激します。
作り手の人柄があらわれる作物から、シェフは何を感じ、どんなふうにレシピに反映されるのでしょう。
難波さんが作りあげる繊細で輝くばかりの一皿にどんな思いが込められているのでしょうか。
これはレストランを訪れて食べてみるしかない。
料理を味わえば、シェフが感じた畑や農家さんの想いを体験できるかもしれません。
レストラン ペタル ドゥ サクラ
住所:神奈川県横浜市泉区弥生台5-2
TEL:045-443-5876 FAX:045-443-5874
営業時間: Lunch:11:30 – 15:00[14:00L.O]
Dinner:18:00 – 22:00[21:00L.O]
定休日/月曜日(要確認)
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