相鉄いずみ野線「ゆめが丘」駅から徒歩5分、環状4号線沿いに三角屋根と色鮮やかなガーデンが印象的な「小麦畑の石窯ベーカリー&食堂 ファール ニエンテ」があります。広々とした敷地には温室と農園が併設されていて、10時にベーカリーが開店するのに合わせて、朝採れの野菜や花苗が店頭に並びます。新鮮な野菜と焼きたてパンを求めて、開店と同時に、近くから遠くから、お客さんが訪れ、朝から活況を呈しています。
ファール ニエンテは、ベーカリー&レストランでありながら、農場でもあります。農業を担当するメンバーは朝9時から収穫をスタートします。私が取材に訪れた8月下旬は、ナス、パプリカ、キュウリが最盛期で、スタッフたちはたわわに実った野菜を手際良く収穫。別のメンバーがすぐに洗って袋詰めをします。流れるように進む作業はスピード感にあふれていて、見ていて気持ちがよいほど。「9時から収穫を始めて、10時には店頭に並べるので、忙しいですよね。午前中はとにかく収穫メインで、午後は植え付けや片付けといった流れで、1日の農作業は進みます」。こう話すのは、ファール ニエンテ所長の鈴木康介さんです。
鈴木さんを「所長」と紹介したのは、ファール ニエンテは社会福祉法人開く会が運営する福祉事業所だからです。メインで働くのは知的障害者(ファール ニエンテでは「利用者さん」と呼んでいます)で、企業等で働くのが困難な方の就労の場として運営されています。レストランとベーカリーで働く方は11名。事業所と雇用契約を結んで最低賃金以上で働き、経済的にも自立しています(就労継続支援A型事業)。農場で働く21名は非雇用で、作業分の工賃が報酬として支払われる形です(就労継続支援B型事業)。
農場で働いている方は、動きのゆっくりな人、忙しい人、野菜に声をかける人、歌を口ずさむ人と、個性がさまざまですが、開店前に出荷するというミッションに向けて精いっぱい動いています。
一方、開店前のベーカリーはまさに「職人の世界」。黙々とパン生地を成形する職人、焼きたてのパンを所定の場所に並べる利用者と支援者、それぞれに緊張感あふれる空気に包まれていました。中には、パンづくりの国家技能検定試験に合格した利用者もいて、彼の技能がベーカリーを支えていると言ってもいいほど。「パンづくりの仕事は、毎日の作業の繰り返しです。彼はパンづくりを始めたころから活躍していたので、この仕事が向いていて、大好きなんだと思います」と鈴木さんは言います。表情にこそ表れませんが、正確なリズムでパンを成形していく姿に、職人としての風格が漂っています。
ベーカリーの奥はレストランで、石窯で焼くピザが人気です。ランキング型のグルメサイトでも上位の星をつけているほど評価が高いピザの味を決めているのは、自閉症の青年です。農場で採れたバジルや、トマトソース、そして採れたて野菜を生地の上にのせて、職人とのコンビで毎日何十枚ものピザを焼き上げます。鈴木さんは「ここが福祉事業所であることを知って来店している方は、全体の2割くらいじゃないでしょうか」と言い、私も鈴木さんに働く方の障害特性を聞いてようやく「そうなのかな」くらいの感覚で働く彼らを見つめ直しました。確かに、ピザ職人の彼は、撮影のために厨房から出てくると表情が固まってしまいましたが、それは、障害があってもなくても、カメラを向けると緊張する人はいるのと同じこと。撮影が終わると、彼はまた厨房に戻り、黙々とピザソースの配分に向き合っていました。
レストランには次から次へとお客さんが訪れ、ピザを片手に談笑しています。広々とした窓からは美しく整備されたガーデンが広がり、食べるお客さんも、買い物客も、働く人たちも、同じ空間で混ざり合っています。窓越しに、植栽の手入れをする利用者もいて、野菜と同じように、花きも農業出荷として、開く会の大切な柱になっています。
「ファール ニエンテ」はイタリア語で「なにもしない」という意味で、ただそこにいるだけで満ち足りる、優雅な時間を過ごすという慣用句からとりました。誰もが互いに認め合い、そこにただいることのできる空間を目指している、とのことです。そう、私もピザを食べている時は、花を愛で、野菜の新鮮な味わいとピザ生地の風味に歓声をあげながら、同行者と一緒に優雅な時間をただひたすら楽しむことができました。
パンは1日60~70種類を提供し、毎月新商品を発表しています。ファール ニエンテのパンは、全製品の1~4割ほどに、自家栽培の小麦粉を使っています。「ゆめかおり」という品種の小麦を石臼で自家製粉しており、どんなパンにも使えるのが特徴で、噛むほどに小麦の甘い香りが口の中に広がります。オーブンで表面はパリッと焼き上げながらも、中はしっとりもっちりしており、フィリングとの相性もぴったり。フィリングに使う野菜も、極力自家農場のものを使っています。
「おいしさ」を追求するために、ファール ニエンテでは、定期的にプロの指導を受けています。パンのおいしさの決め手でもある生地は、イースト菌が働く環境を整え、オーブンの温度や焼き時間も徹底的に追求。パン工房と店舗、食堂が併設したスタイルは、青葉区の人気店「プロローグ プレジール」からアドバイスを受けて、ファール ニエンテらしく運営しています。開く会の方針として、「プロの仕事を取り入れましょう」と、積極的にその道のプロフェッショナルと関わり、技術を研鑽しているのです。
日々の努力と研鑽は、数字の上でも如実な結果を出しています。食堂はテーブル数を増やしてもお客さんで埋まるほど。月の売り上げをお聞きすると、レストラン経営としてはかなり立派な数字で、その結果について鈴木さんは「働いている人の障害の有無ではなく、おいしいものを提供し、楽しい場所で、明るく楽しく仕事をしているからではないでしょうか」と、極めてシンプルな答えを導いています。
ファール ニエンテは、障害のあるなしに関わらず、一人ひとりの個性を生かす働き方ができる場として注目を集め、各地からの視察を受け入れています。例えば、私だったら、ピザ職人の彼のようにピザの焼き加減を見極めることはできないでしょうし、パン工房で働く職人ように正確な成形はできません。会計時のお釣りの計算が苦手な利用者さんもいますが、私の職場でもお金の計算が苦手な人はいます。つまり、誰かの得意不得意は、適材適所で補い合えばいいのだし、その人の個性に応じた仕事が見つかれば、隠れた才能を発揮させ、数字という結果に結びつけることができます。福祉の制度を活用しながらも、そこに福祉の看板をつけなくても、パンやピザのクオリティで勝負できることをファール ニエンテは示しているし、それが働き手のやりがいにつながっているのです。
「一般企業も同じですよね。一人ひとり、みんなの力を発揮できるのが、おもしろい。働く人の個性が際立っているのが障害者福祉の現場で、だからこそやりがいやおもしろさも大きいのだと思います」(鈴木さん)
横浜の「農家レストラン」の先駆けとして、そして「農福連携」の成功事例として、注目を集めているファール ニエンテがオープンして6年。まずは地道に足元を固めて、少しずつ夢を広げていきたいと考えています。今年は1トンだった小麦の生産量を今後は4トンまで増やして、横浜市内のパン屋に流通させていくこと。また、農業の方でも生産量を増やして、就労継続支援事業B型の利用者さんの工賃を上げていきたい、とも。「生業(なりわい)」としての農福連携で、一人ひとりの個性を発揮した「働く場」のモデルとして、今後もおいしいパンとピザ、野菜を提供し、トップランナーとして走り続けていくことでしょう。
小麦畑の石窯ベーカリー&食堂 ファール ニエンテ
住所:〒245-0016 横浜市泉区和泉町1011-1
電話:045-392-3225(レストラン)/045-392-3265(見学や福祉事業所への問い合わせ)
営業時間:ベーカリー 10:00~18:00 /食堂 11:00~18:00(L.O.17:00)
定休日:毎週木曜
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