ステイホーム期間中の“メッセージ”としてスタート
2020年春、私は「今日はどう過ごそう」とため息をつく日々を送っていました。新型コロナウイルスの感染拡大を受け、3月に突然、全国の小中学校が休校になり、長女は学校に通えず、次女の保育園でも極力登園を自粛してほしいという通達を受けました。家庭で学習する教材も自分で探さなくてはならず、本を読もうにも駅ビルの本屋は休業だし、ただネットやテレビで時間をつぶすことは避けなければと、毎日朝起きてごはんを食べ、午前中のうちに散歩することを家族の日課にしました。青葉区の地図を広げて、複数の公園をめぐることをミッションに、なるべく新しい風景に出会うべく、いろんな道を歩きました。
「みんなの図書館」を見つけたのは、そんなある日の散歩中でした。戸建て住宅が建ち並ぶ青葉区みたけ台の一角で、家の門扉と道路の間にあるちょっとした空間に本棚が置かれていて、その中に30冊ほどの本が並んでいました。マンガ『日本の歴史』シリーズや、ディズニーキャラクターの絵本など、ジャンルも多様で、長女は「これ、妹が好きそう」と言って、何冊かを手に取りました。そして、貸し出しノートに借りる本の名前を書いて、家に持ち帰りました。「みんなの図書館」の家の表札の名前と、ノートの字に、見覚えがありました。「これは、澤岡詩野さんに違いない」と直感し、あえて連絡をせずに、それから何度かみんなの図書館に通いました。
私と澤岡詩野さんとの出会いは、2013年にさかのぼります。当時、藤が丘地区センターでは、地域に暮らす人たちが地域の人を講師に招き、まちの魅力を掘り下げる「街のパティシス」というイベントを開催していました。それまでシニア世代が主だった活動に、「縦」の目線を取り入れ、地元の高校生を巻き込んだ「地元の高校生と共に考える 青葉区からの社会貢献」という企画を仕込んでいたのが、詩野さんでした。
公益財団法人ダイヤ高齢社会研究財団主任研究員という肩書きを持ち、老年学を専門に高齢社会におけるまちづくりを研究している詩野さん。研究者といっても堅苦しさはまったくなく、柔軟な発想力と地域の課題を的確にとらえる彼女の視点に、私はすっかりファンになってしまいました。2013年以降、主にSNSと年賀状でゆるやかに交流を続け、「地域をフィールドワークする」目線に子育て視点も加わった詩野さんと、再びじっくり語り合いたいなと思っていました。
2021年が明けてすぐ、詩野さんと5歳の娘さんを、わが家にご招待しました。2020年末に、同じ団地内で引っ越しをした私は、長女・次女と読み継いだ絵本を60冊ほど手放すことにしました。リサイクルショップに持ち込むことも考えたのですが、「みんなの図書館」ならばきっと大切に受け継いでくれそうだと思い、まずは詩野さんにお声がけしたのです。「館長」こと5歳の娘さんはとてもハツラツとしていて、一つ年上の私の次女ともすぐに打ち解け、一緒にかくれんぼをしたり、館長が集めている椿の種をおもちゃにして遊び始めました。その間、私は詩野さんと一緒に、段ボール2箱にたっぷり詰めた絵本を手に取り、それぞれのストーリーの読み解き方や、絵本との思い出を語り合いました。そして、最後に詩野さんは「みんなの図書館では、本の入れ替えもしますし、すべていただきますね」と言ってくださったのです。どの本も、すべて思い出が詰まったものだったので、みんなの図書館に託すことができたのは、私には望外の喜びでした。詩野さんと絵本を一緒に読みながら語り合った時間も、大切な思い出になりました。
後日、私は改めて「みんなの図書館」を訪ねて、開設の理由や、1年経ってどんな効果を感じているのかを伺いました。
「昨年3月、最初の緊急事態宣言で、学校も、図書館も、公共施設もみんな閉まってしまいましたよね。居場所がなくなってしまった子どもたちに、“あなたのこと、誰かが気にしているよ”という、メッセージを発信できるといいな、と思って」と、みんなの図書館開設の動機を語った詩野さん。一方で、同時期にあちらこちらの家で「お片付け」が始まり、たくさんの本が資源回収に出されていくのも気になったと言います。「いい本がごみとして出されていくのがしのびなくて。“どうぞご自由に持っていってください”とすればいいのに」と思ったそうです。ある時、娘さんが資源回収に出された本の家のあるじに「この本、もらっていい?」と声をかけ、詩野さんの蔵書に、いくつかの本がみんなの図書館に加わりました。図書館スタイルにすることで、貸し出す、返す、の双方向的なやりとりが始まりました。
「双方向にしたいけど、“管理”はやりたくない。だからノートに名前を書く必要もないし、返却日も設定せず、感想も求めず、もし本を持っていかれてしまったらそれでもいいや、くらいの気持ちでノートを置きました。結果的に、これまで本が紛失することもなく、ノートに落書きされることもなく1年経ちました。書かれているちょっとしたメッセージに気持ちが温かくなります。このノートが“ゆるやかなつながり”を生んでいるのを感じます」と、詩野さん。
「セミパブリック」な領域としての「門扉と道路の間」
青葉区で育った詩野さんですが、社会人になってからは仕事に忙しく、「地域に根っこがない」と感じていたと明かします。さらに人見知りだというご自身の性格を分析し「地域の研究をしている自分が、巻き込まれない範囲」として設定したのが、「セミパブリックな領域」としての、門扉と道路の間の空間でした。
「道路(パブリック)と自宅(プライベート)の間にあるあのスペースならば、自分のテリトリーを守りながら、自分のペースで、何かを始められる、地域にタネをまくことができるかなと思って」
決めたのは「雨の日以外の9~17時に、毎日本を出すこと」だけ。これが、ステイホーム中に自分の生活リズムを保つことにもつながったし、詩野さん自身が「負担なくやれる範囲」だったのだと言います。
5月、各地を賑わせる「こいのぼり」行事が中止されたと聞いてやったのは、それまで家の中庭に飾っていたこいのぼりを、外から見える窓際に移動したこと。自分の部屋の中に飾っている小さな菊を、玄関先に飾ること。朝9時にみんなの図書館の箱を外に出す時に、目があった通行人に挨拶をすること。こうした小さな積み重ねによって、詩野さん自身が地域での「ゆるやかなつながり」を実感するようになったと言います。
仕事で各地の「まちづくり」「高齢者の居場所・活動づくり」をサポートしている詩野さんは、「地域デビュー」の喜びも難しさも目の当たりにするなかで、「自分の力を地域に還元!などというと重くなってしまうけれど、自分の大切にしていた本をセミパブリックな空間に置くだけで、誰かがその本を読んでみたいと思ったり、もしかしたら自分の本をここに持ってこようという気になる、そんなふうに誰かに勇気を与える拠点になれるとしたら、そこに“力の循環”を生み出せるんじゃないかなと思います」と言います。
詩野さん自身が、「自分のできる範囲」を設定して始めた地域活動で、意識しているのは「ゆるやかなつながり」です。地域活動を始めると、さまざまな人とつながり、盛り上がり、次はこうしよう、ああしよう、と話がどんどん大きくなって、気づいたらがんばりすぎてしまう、疲れてしまう、というのは誰もが経験することではないでしょうか。
「ゆるやかに続けるコツは、“自分たちが楽しい”という原点に常に立ち帰れること。意図して“ゆるやか”にやっていかないと、どんどん“がんばる”“義務”になってしまい、努力しなければ続けられないほどに負担が増えてしまいます。人間関係でいえば、知り合い以上、友だち未満が“ゆるやかな関係”です。一過性だと顔見知りになりにくいので、地域の範囲は小さければ小さいほど遭遇率が高まります。ゆるやかな関係は、頻度を重ねないと維持できず、頻度を重ねることで顔見知りが仲間になったり、あるいは顔見知りのままということもあります。顔見知りをつくるタネ、つまり手段をどれだけ持っていられるが、かが、日常生活、ケの日を豊かにしていくカギとなります」と、高齢社会の研究者として“ゆるやかなつながり”の重要性を詩野さんは説きます。
地域には“ゆるやかなつながり”が必要
私は、地域で子育てをするなかで、「親以外に、地域で頼れる大人がいっぱいいることが、豊かな子育て環境ではないか」という思いを持っています。その気持ちを詩野さんにぶつけたところ、こんな返事が返ってきました。
「百のつながりがあることが、自分にとってこの地域で暮らし続けるという原動力になりますよね。そも思いは一方通行ではダメで、自分も百人力の一つの力になることができるかどうかが大切です。私自身は地域とつながるのが苦手で、距離を置きたい人の気持ちがよくわかります。だからこそ、ゆるやかに、自分の距離感で地域とつながる、というのが大事。私にとっては、それがみんなの図書館と、こいのぼりと、掲示板だったのかもしれません」
ある日、団地に咲く椿の花を見て、次女が言いました。
「あーちゃんの絵本、館長の家に行けば見られるかな」
「みんなの図書館では、本を借りることができるよ。あーちゃんの絵本ももう一度家で読むことができるよ」
そういって私は、これこそが詩野さんの言う“ゆるやかなつながり”なのだな、と感じました。ゆるやかなつながりのタネが、子どもたちの心にもまかれ、芽を出そうとしている春です。
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