わが子との経験から生まれた学びの場「小さなイエナスクールゆに〜く」
町田市に新たな学びの場「小さなイエナスクールゆに〜く」が開校しました。
学校を創るに至った母と小学生の息子くんとの対話から、学ぶということ、学ぶ場所について考えました。

以前取材させていただいた方が、ある日SNSに【小さな学校を創めました】と投稿していたのを見かけました。

子育てや場づくりの活動をしていらっしゃるのは知っていましたが、確か教師ではなかったはず。学校を創るというのはどういうことだろう…と興味を持ち、お話を伺ってきました。

 

「小さなイエナスクールゆに〜く」は、一般の学校のカリキュラムとは異なる独自の教育理念を軸として、子どもの自主性や個性を尊重する教育を実践する学びの場です。小学1年生から中学3年生までの子どもたちが一緒に過ごします。

 

不登校になって初めて必要となる場ではなく、独自の教育理念に基づいたもう一つの学校として、そこでの学びを選んだ人を受け入れます。学校教育法第一条に定められて認可された学校ではないため、地元の公立校に籍を置きながら通っています。

このような学校は、オルタナティブスクールと呼ばれ、現在、公立や私立に次ぐ新たな選択肢として、各地にさまざまなオルタナティブスクールができています。

お天気が良い日はウッドデッキが教室に

ゆに〜くは、イエナプラン教育という、ドイツで生まれ現在はオランダで発展している教育をベースに、独自のカリキュラムをつくっています。

一人ひとりの興味関心からはじめる探求の時間や、互いに問いを出し合い、一緒に考えを深める対話の時間などのほか、アートや体を使ったワーク、さらに子どもたちを中心に企画する催しや、基礎学習など、さまざまなカリキュラムがある

実際に体験することを大切にしています。体験し、触れることで問いが生まれ、それが学びになるからです。

撮影に伺った日は味噌作りをするために、味噌が、どういうものからできているのか、実際に触って、食べてみるところから

そして、「願いから人とつながることを大切にしたい」と、生きていく力を育むことに力を入れています。

社会の中で自分らしさを発揮し、人と協力して生きていける力を養ってほしいと考えつくった学びの場

現在、町田市中部にある緑豊かな地域で2022年4月から週2日試験的に開校しながら準備を進め、現在は説明会や見学の受け入れをしながら、4月からの本格開校を予定しています。

イエナプランでは、教室のことを、リラックスして学べるようにと、あえて「教室」とは呼ばず、「リビング」と呼ぶ。どういうリビングだったらいいかなあとみんなで考えて出てきたのが「自分の椅子があったらいいな」という答え。そこで、みんなが自分の座りたい椅子を自分で作った

この学校立ち上げの中心となっているのが町田市に住む藤井知子さん。

藤井知子さん。3人のお子さんを育てるお母さん

きっかけになったのは小学6年生の長男・息子くんの存在でした。

 

息子くんが4年生の時、新型コロナウイルスの影響で小学校が一斉休校になりました。

最初は春休みが延びてラッキー!と喜んでいた彼。休校中にやらなくてはいけない課題がたくさん出て、なかなか家で進められず休みの間もコロナや学校への不安とフラストレーションが溜まっていきました。

そのうち一斉休校から分散登校に変わった時には、一日おきの学校に「最高!」と喜んでいたものの、世の中の、遅れを取り戻そうとする流れ、宿題の量や授業のペースに追いつけず、途中息切れを起こしてしまいます。

この時期はお友達との些細なトラブルも増えてきたといいます。

 

段々と足が向かなくなっていく中、4年生の2学期頃、2週間ほど学校に行けない時期が続きました。

その頃の息子くんは、いつもキラキラしていた目の輝きが消えてしまって、藤井さんは、息子くんのその目を見て「このままおうちに引きこもっていては彼がダメになってしまう」と危機感を感じたのだそう。

 

ちょうどその時期、多摩市に「小さなイエナスクールゆめまる」という学びの場が立ち上がりました。自分の子どもにも必要なのではないかと感じた藤井さんは、息子くんを誘って一緒に見学に行きました。

そこに通う子どもたちのことを、「ここでは自分の興味関心から学んでいくんだよ」と話すと、息子くんは自分から「ここに入れてほしい!」と言い出したのだそう。

 

月に3回開催されるゆめまるへ通うようになり、学校へ掛け合うと校長先生の判断でゆめまるへ行った日も学校が出席扱いになりました。

息子くん自身も、学校をサボっているのではなく、ここで勉強しているんだって胸を張れたと言います。

ここに通うようになった息子くんは、4年生のうちは学校にも行けるようになりました。

 

「出席できていなくても小学校は卒業できるけど、自分も出席しているということが子どもの誇りに関わってくる部分だから大切にしたい」と藤井さん。

 

学校に通えるようになった姿を見て少し安心していたものの、5年生になりクラスや担任の先生など環境が変わり、また2学期になる頃から足が向かなくなってきました。

「遅刻しても毎日来たら皆勤賞だから頑張れ!」と担任の先生に励まされたものの、それでも学校が辛く、6時間目だけやっと行く、しかし気まずくて、帰ってきたら荒れる…そんな日々の繰り返しだったと言います。

 

その頃運動会を休むという選択肢が本人の中になく、必死で遅れを取り戻しながらついていこうとしていた彼。結局運動会当日はなんとか頑張って行けたものの、その後気持ちが途切れてしまいました。

親から見たら皆勤賞のためにせっかく頑張って行っても荒れて帰ってきて。こんなに荒れるくらい辛く感じているのだったら休んでいいのにと思った

学校へ行けなくなった彼に、「学校に行かなくてはいけないと思わなくていいよ、行きたくなったら行けばいいよ」と伝えたところ、目を丸くして驚いていたそう。その後1カ月間毎日YouTubeとゲーム三昧の日々。

 

落ち着いてきた頃に聞いてみると、「学校に行きたいんだけど行けないんだ」と話していたといいます。

「学校に行きたい」という気持ちが、「行かなくてはいけないから行きたい」と思っているのか「純粋に行きたい」のか、どちらだろう?と問いかけると、わからない、と。

 

月3回のゆめまるに通う以外は自分のタイミングで起きて過ごす日々を続け、2カ月たった頃「学校はもういいかな。そもそも学校の勉強の仕方が自分には向いていなかった」と語り出したと言います。

「時間もやることも細かく決められていて、仕方なく始めてもやっと面白くなったと思ったら45分で終わりで次はこれをやりなさいって言われてしまう」「運動会も何も大人が考えたことをやらされる、そこに自分たちの考えはなく、自分のペースで何もできない、それが自分には難しかった」

学校に行かず、何もやっていないように見えていた息子くんは、この間に自分の気持ちを整理して言語化することができるようになっていました。

その頃は6年生になったら学校に行き頑張りたいと思っていた息子くんには、それを諦める無念さとの葛藤もあったと言います

じゃあどうしたいか?その問いに、「ゆめまるが町田に欲しい。少なくとも週に2日以上は通えるところがいい」。

 

ゆめまるは地域に根ざした学びの場もあり、多摩という地域コミュニティの中で活動しています。その関わりの温かさを感じ、こういう場所が自分の住む地域にあったらいいなという気持ちが藤井さんに湧き上がってきました。

 

お子さんに一つひとつを焦らずじっくり問いかけていき、じゃあどうしよう?と導けるのは、藤井さんがカウンセラーという仕事をしていたことも大いに関係しているのかなと思います。

 

悩みながら少しずつ前に進んでいく息子くんを見ながら、藤井さんは、親が知らない道を選択をするというところに非常に怖さがあった、と言います。

何より、学校に行けるのが当たり前で、行けないのはどこか問題があるような、世間の風潮にわが子が望まないレッテルが貼られる怖さ、また親の育て方が悪いのでは?と思われているんじゃないかと周りの目が気になってしまうことも。

パワーダウンして悩み続けた後に、ふと気持ちが切り替わる瞬間がありました。

 

そもそも、不登校という概念がいらないのではないか?もっと多様な選択が尊重される世の中になっていかないと、持っているパワーを失わないといけないこういう子たちがたくさんいるんじゃないか、と。それが学校を創る原動力にもなっていきました。

 

その頃、藤井さんは息子くんによくこんなことを聞かれ、毎回頭が真っ白になっていたそう。

 

「もし宝くじが10億円当たったらどうする?」

「お母さんは毎月500万お給料が入ってきたらどうする?」

「ドラゴンボールが全部揃ったらどうする?」

 

この「全ての制限がなくなったら何をしたいのか」という問いの答えが「学校を創りたい」だったという藤井さん。

わが子のために創るというのは違うけど、やはりそういう場所が必要なら自分でやりたいという気持ちが徐々に高まり、学校を立ち上げることにしました。

その際にも、息子くんには、「あなたのために創るのではなく、お母さんがやりたいから創る」ということ、「子どもの立場で手伝ってくれたらうれしいし、学校に行きたくなったらいつでも行っていいよ」と伝えたと言います。

 

もとめている子どもたちのために道をつくっている段階、という藤井さん。

当初、先生でもなんでもない自分がいいのだろうか?と思うこともあったと言いますが、今世の中に必要だからやる、と決めた途端、一緒にやりたいという人が集まってきて、道ができてきた、と

 

現在、ゆに〜くは、元小学校の先生やスクールカウンセラー、スポーツインストラクター、保育士など、常勤4名、非常勤2名でスタートしています

スクールのほか、不登校や不登校傾向の子どもと保護者が集える無料のフリースペース「子どもラボ」も立ち上げたほか、多様な学びや居場所を提供する団体や施設との協働や情報発信のための「多様な学びターミナル」も準備中です。公教育以外の多様な選択肢があり、自分に合った学び方を当たり前に受けられる社会を実現しようと動き出しています。

 

 

目の前のレール、今ある選択肢から選ぶということが当たり前と思っていた私は、学ぶ場所を創るというそのエネルギーに圧倒されました。

と同時に、自分の暮らす街にそういう場所ができること、そういう思いのある人たちがいるということを知れたことは、子どもにはもちろん、親にとっても安心感につながるように思います。

Information

小さなイエナスクールゆに〜く

https://linktr.ee/unique_color

uniquecolor.info@gmail.com

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この記事を書いた人
齋藤由美子ファクトリー事業部マネージャー/ライター
森ノオトの事務局スタッフとして、主にAppliQuéのディレクションを担当。神々が集う島根県出雲市の田舎町で育ったせいか、土がないところは落ち着かない。家では「シンプルな暮らし」関連本が十数年にわたり増殖中。元アナウンサーで、ナレーターやMCとしての顔も持つ。小6女子の母。
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