代々この土地で田んぼや畑、養鶏も手がけていたという農家の鮫島さんは、1971年にお父様が梨園の造成を始めたそうです。
今、えのき園では北八朔に2カ所の梨畑を所有しています。合わせて約7,300平米に、約150本の梨の木が植えられています。取材した梨畑は、25年くらい前に鮫島さん自身が手がけた場所ということで、鮫島さんにとって、とても愛着があるように感じられました。
完熟のおいしさを味わえるのは収穫期だけ
この夏、収穫初日の浜なしの量は20個程度だったそうですが、毎日だんだん増えていきます。今までの収穫の最高は、なんと、1日に4トンとのこと!すごすぎます!
浜なしが熟したどうかは、サイズの基準はあるものの色で判断します。
例えば、幸水は熟すと緑っぽい茶色から輝くような黄色になるそうです。収穫の時間は実の色の確認ができる日の出からスタートです。
通常の収穫時間は日の出から10時が目安ですが、ピークの時期は12時、夕方まで収穫することもあるそうです。収穫作業はご家族とその時期だけアルバイトさんをお願いし、収穫してからも、直売や箱詰め発送とこの時期は大忙しです。
浜なしは特定品種の名前ではなく、一定の基準を満たした生産者が栽培する梨を販売するときのブランド名なので、生産者によって作る梨の品種が異なります。
えのき園の浜なしの品種は、熟す順番に“甘ひびき”、“幸水”、“豊水”です。ちなみに鮫島さんの一推しは“甘ひびき”。甘みも強く、しゃりしゃり感がいいとおっしゃいます。収穫は9月中旬まで続くので、好みの梨を探すのも楽しそうです。
新しい農法を取り入れ栽培
浜なしの甘さの秘訣は、梨の細胞にどれだけの養分や成分が入っているかだと鮫島さんは話します。大事にするのは 「木の勢い」だとも。「木の勢い?」と聞いた私に、こう教えてくれました。
「木は根っこがスタートで、木の先まで真っすぐ栄養がいくことが大事。枝の先まで同じように栄養が行き渡るように、枝を切って整えたりしている」と説明してくれます。
収穫後は木が疲れるので追肥したり、様子を見ながら摘花や摘蕾(てきらい)することなど、木が常にベストな状態でいることを心がけているそうです。
浜なしの栽培は大変と言われていますが、「ちゃんとやってる人には厳しくないですよ。どんな仕事だって大変じゃないですか?」と笑顔で答える鮫島さん。横浜のブランドである浜なしを作る農家さんの意気込みやプライドに触れた気がしました。
鮫島さんは、浜なしの育成方法に新しい技術の取り入れや工夫をしているそうです。
木にかけてある袋の中には、害虫であるハダニを捕食するダニが入っています。ハダニを退治してくれるので、5〜6回分の農薬を散布しなくて済んでいるほどの効果があるそうです。
開花時期から3、4回の卵を産むシンクイムシ対策としては、棚に結んだ短い紐に含まれた成分がフェロモンを出して交尾ができないようにすると言う「コンフューザー」を使用しています。
雑草が多いと虫がたくさん発生することから、草が生えないように木の根元にマルチ(畑を覆うカバー。鮫島さんはもみ殻を使用)をしたり、夜間LEDの光で虫を避ける工夫もしているそう。 果汁を吸う虫を避けるためにLEDの黄色い明かりをつけたことによって、紙袋で実を守ることもしなくてよくなったというので驚きです。
鮫島さんは「なるべく農薬は使いたくない。1回でも農薬の散布は少ない方が環境にも、消費者にも、自分にも優しい。そのために県の農業の研究機関に足を運び、情報の取捨選択をしながら自分たちにとって良いものを取り入れている。それはえのき園のレベルアップにもつながるから」とおっしゃいます。
※ハダニ:葉の裏に寄生し、放っておくと葉が枯れてしまったりする
※シンクイムシ:実の中に入り込んで実を食べてしまう害虫
もったいないの“浜なし”
形が悪い・肌の色が良くない・目につく傷があるものは、中身に問題がなくても商品としては規格外となって販売することができません。規格外の浜なしは、収穫量の毎年1割、年によると3割になると鮫島さんは言います。
そんな規格外品を活用する工夫として、浜なしを使った焼肉のたれやジャムといった加工品が生み出され、たくさんのコラボ商品も登場しています。
「幻の浜なし ナボナ」(亀屋万年堂)と「横濱ハーバー 幻の浜なし」(ありあけ)は季節限定商品として商品化されていて、これらは、JA横浜からの依頼で商品として売れなくなった浜なしを農家が提供して使用されます。
そんな折、時代に沿うようにフードロス果物でアルコール飲料を商品化したいと横浜に工場を持つキリンから、「スタートはキリン発祥の地である横浜の果物を」と、声がかかったのが「氷結®mottainai プロジェクト」だったとか。鮫島さんも加入しているJA横浜果樹部より声かけをして、多くの梨農家さんからの提供で実現したそうです。
浜なし農家全体を盛り上げていきたい
鮫島さんに、浜なし農家としての今後を伺いました。
「農家というと、どうしても大変そうというイメージがあります」。私の問いに鮫島さんはこう答えてくれました。「2人の娘にも家業は手伝ってもらっているけど、どんな仕事にも苦労はつきものだから、苦労は絶対に見せない。後継者についても、楽しそうにしている姿を見てやってみたいという人がいればいいので、自分はマイペースでやっていくだけ」と自然体。鮫島さん自身も家を手伝っているうちに学校卒業後、自然に農家の仕事に入っていったと振り返ります。
「農家仲間とゴルフに行ったり、青葉台や藤が丘、市ヶ尾に飲みに行ったり。遊びも楽しんでいるしね」と、きっぷのいい表情で話してくれる様子に、等身大の人柄を感じます。
「市場に出すと誰が食べたかわからない。自分の作ったものの感想を直接聞ける対面販売が好き」だと語る鮫島さん。米や野菜作りも手がけていますが、直売している浜なしに集中しようかなという展望もあるようです。
「人の言葉で頑張れる!当たり前のことのようだけど、直接“おいしい”の言葉を聞くことはとてもうれしく、浜なしを作って販売している自分にとってはとてもありがたいことだから」と、照れたような表情で語ります。自宅の直売所には、引っ越した先からも毎年買いにくるお客さんもいるそうです。
個人はもちろん、ブランド全体として浜なしの底上げをしたいと語る鮫島さん。
「もっと基準を上げた高いレベルの浜なしを作りたい」
「さらに高みを目指す浜なしのトップオブトップを作りたい」
こんなお話を聞いていると、ワクワクしてきました。浜なし農家全体をみんなで盛り上げていきたいと語る鮫島さんに、苦労を見せず仲間を引っ張っていく“アニキ”的な魅力も感じました。
食べ物の思い出は、大人になってからも季節や情景として人の心に残ります。
鮫島さんをはじめこの地域の農家さんの努力で、今後も横浜ブランドの“浜なし”は、旬の果物として毎年の楽しみへと定着することだと思います。
浜なし えのき園
Instagram:https://www.instagram.com/enokien_yokohama?igsh=MXZjeHloeGJqdzhyeg%3D%3D
えのき園の浜なしは、上記のえのき園に加え、JA横浜「ハマッ子」直売所の横浜青葉インター店、たまプラーザ店、四季菜舘でも販売されています。
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