
今回は、森ノオトの元理事で、団地再生のプロデュースや、大磯町でのさまざまなまちづくり活動を行う原大祐さんと、「よこはま縁むすび講中」などのプロジェクトで森ノオトと関わる一方、緑区中山の「753(ななごーさん)village」で地域にひらかれた多くのプロジェクトを進めてきた大谷浩之介さんのお二人をご紹介します。
2月上旬のある夜。JR横浜線・中山駅から徒歩約10分、立派な戸建ての建物と庭の緑が並ぶ一角にあるシェアスペース「Co-coya(ここや)」の1階に、ポツリポツリと人が集まってきました。
この一帯は一人の大家さんが所有するいくつかの物件がカフェやギャラリーといったコミュニティスペースとして点在し、「753village」と呼ばれています。「Co-coya」はまちの案内所を兼ねた働く場として、大谷さんが、妻の関口春江さんとともに運営しています。
SNSでのつながりはあっても、直接対面するのはこの日が初めてだという原さんと大谷さん。会場に着いた原さんと大谷さんは挨拶を交わしますが、お互いに距離感を測っているように見えます。
ともに、地域の古い物件をリノベーションしながら、その地に根ざした活動を行うという点で共通するところがありそうなお二人ですが、実はそれだけでなく、お二人のルーツに隠れたつながりがあったのです。それに気づいた森ノオト理事長・北原まどかが、お二人のお話を聞く場を設け、お二人は初めて直接対面しました。
ちなみに、森ノオトとも縁の深いお二人。
原さんは2017年から2019年までの1期2年、森ノオトの理事を務めてくださり、ご自身が大磯で行っているまちづくり活動や地域との協働について、その大胆で柔軟な発想力からたくさんのヒントをいただいた方です。一方、大谷さんとは2018年に出会って以降、緑区の転入者向けパンフレットづくりや、横浜北部の文化発信プロジェクト「よこはま縁むすび講中」等で森ノオトにお声がけいただき、地域と自然と調和した活動をする同志としてご一緒している間柄です。
参加者が集まってくるのを待ちながら、大谷さんと関口さんから、「Co-coya」のことを教えていただきました。
「Co-coya」は築60年(一部は70年)の古民家を改修したシェアスペースです。1階には人が集まれるスペースのほか、手仕事の工房などがあります。2階はコワーキングスペースや、賃貸の住居です。以前使われていた井戸を復旧させ、薪風呂や薪ストーブも設置。災害時に住民が利用できる拠点としての機能もある「職住一体型地域ステーション」です。

「Co-coya」の外観
横浜市の「ヨコハマ市民まち普請事業」に採択されたほか、クラウドファンディングも行ってリノベーション資金を調達。東日本大震災後、石膏ボードなどさまざまな建築資材がごみになっていくのを知った春江さんが、自然素材を全面に採り入れて設計やデザインを行いました。
例えば、壁は土壁や漆喰壁で、漆喰に炭を混ぜて少しくすんだ色にした箇所もあれば、ベンガラで鮮やかな色に仕上がっているところもあります。間仕切りは、型枠の中に砂利や石灰などを混ぜた材料を入れて突き固め、層状に仕上がる「版築」という技法でつくられています。解体時に出た廃材を再利用している箇所もあります。

「Co-coya」の内部。中央に見えるのが「版築」の間仕切り
「接着する素材も、海藻を買ってきて煮るところから始めました」と関口さん。自然の素材の力を感じる空間として、2022年2月にリニューアルオープンしました。
大家さんとともに、長期的なプロジェクト
参加者がそろうと、北原が参加者を簡単に紹介して、乾杯。そしてまずは大谷さんに、自身のご活動のお話をしていただきました。

ご自身の活動について語る大谷浩之介さん
大谷さんは東京都目黒区出身。もともとは友人であるシェフの辻一毅さんに誘われて、中山の隣、十日市場にある自然農園に通っていました。また、醤油搾り師との出会いから、醤油づくりの活動も始めました。
そして辻さんが753villageの一角に住むことになり、大谷さんは初めてこの場所を訪れました。
辻さんの住居をはじめ、この一帯の物件は一人の大家さんが所有していました。その大家さん・齋藤好貴さんは、12世紀からこのエリアに住んでいた一族の後継者。約30年前から、所有する日本家屋の古民家に「なごみ邸」という貸しスペースを設け、住民や訪れる人に開かれた場をつくってきた人です。
辻さんの住居の隣に、カフェとして使える物件が空いているのを知った大谷さんは、辻さんや春江さん、畑に関わっていた仲間とともに、ここでカフェを開くことを考えました。
「カフェの事業計画を立てて齋藤さんにプレゼンをしたのですが、最初の頃はどうも話が噛み合いませんでした。時間軸が合っていなかったのです。事業計画というと普通は5年、10年という期間の計画ですよね。しかし齋藤さんは、50年、100年という単位でまちを見て話していました」(大谷さん)
齋藤さんの理念に共感した大谷さんたちは、その後、齋藤さんの同意を得て2013年にカフェをオープン。それから1年ほど経ち、このエリアの住宅に空きが出たと齋藤さんから聞いた大谷さんたちは、その空き物件をシェアハウスにして移り住みました。
「それだけ先まで見ている齋藤さんと関わるとなったら、住みながらやらないとだめかなと思っちゃったんです」と、大谷さんは当時を振り返ります。

緑区で青空自主保育をしている仲間たちと一緒に醤油を搾る大谷さん(菌カフェ753の庭にて)
その後は辻さんにカフェを任せ、大谷さんと春江さんは月1回のマルシェ「753市」の開催や、地域の方々との醤油づくり、コワーキングスペースの運営などに注力するように。この地域の「関係人口」を増やしてきたのです。
しかしコロナ禍に入り、マルシェを開けなくなりました。この場所でコミュニティを育むことをより強く考えるようになって生まれたのが「Co-coya」の構想だったのです。
753villageには現在、「なごみ邸」や「菌カフェ753」「Co-coya」のほか、多世代交流カフェ「レモンの庭」、「753市」の出店者が定期的に出店できるスペース「季楽荘」などもあります。大谷さんは、昼間は会社に勤め、まちづくりや産官学民連携プロジェクトのコーディネートなどに関わりながら、個人として753villageでの活動も精力的に続けています。
自分とエリアの暮らしを楽しくする仕掛け
次に、原大祐さんの活動をお話しいただきました。

原大祐さんの拠点は大磯町。活動エリアは県内各地に広がる
原さんは自身の活動の中心を「遊休している不動産、資産を再び利活用することで、自分の暮らしとエリアの暮らしが楽しくなることに手を出すこと」だと話します。北海道生まれで小学校高学年から平塚市に住み、大磯町の高校に通っていた原さん。大学卒業後、地域遺産の保存に興味を持っていたことから勧められて、神奈川県住宅供給公社で団地再生に関わるようになりました。
これまでに二宮団地(二宮町)、相武台団地(相模原市)、竹山団地(横浜市緑区)などの再生に関わってきた原さん。竹山団地では、神奈川大学サッカー部の監督と相談しながら、団地で空き家になっている4、5階をサッカー部員の寮として使えるように、公社との間に立って調整を行いました。
「団地の中の高齢化は著しく、緑区の40年先の世界があります。だから40年後の社会の中核を担うであろう大学生に、団地で“40年後”を生きてもらって、課題を解決してもらう形にしましょうと提案したのです」(原さん)
2020年に神奈川大学の学生さんたちが住み始め、その後、竹山団地の中には、空き店舗を改修してさまざまな施設が生まれました。健康促進やコミュニティの場づくりなどのための施設で、サッカー部員による健康体操教室やスマホ教室も開かれる「未来研究所 竹山セントラル」や、サッカー部の食堂でもあるカフェで、料理教室も開かれる「食文化研究所 竹山キッチン」などです。こうした動きは他地域からも注目を集めています。

竹山団地は神奈川大学サッカー部の学生たちが寮として居住。食堂、トレーニング施設の運営など、積極的に団地コミュニティに関わっている
原さんは大磯でもさまざまな活動を行っています。荒廃した農地を借り、「大磯農園」として米や豆、みかんなどを栽培。収穫した米で日本酒も造っています。
また、2010年から月1回、大磯港を中心にクラフトやフード、地元産野菜などの店が並ぶ「大磯市」を開いています。県下最大規模の定期的なマルシェとして、マルシェブームの火付け役にもなったこの大磯市。その開催目的は、事業者を育ててまちなかの空き家への出店につなげ、若い世代も活躍できる、市の日でなくても活気あるまちにしていくことです。そこでまず、原さん自身が大磯駅近くの古民家を2軒借り、カフェや本屋などの運営を始めました。すると、その近隣の空き店舗にもパン屋や居酒屋、花屋などが出店し、訪れる人がわくわくするような一帯が生まれてきています。

大磯駅からすぐ、「茶屋町路地」と呼ばれるカフェやパン屋、ギャラリーがある一角。大磯市で活躍する出店者の作品や飲食を常設店舗で楽しめる。原さんは他にも大磯町で複数の空き家をリノベーションして、コワーキングスペース等の運営をしている
ただ、大磯市は近年、全体的に出店者数が減る傾向にあったといいます。
「もう16年やっているわけだから。お客さんも毎回クラフトがほしいわけではなくて、飽きている人もいたのかもしれない。それで、大磯市に毎回来て楽しんでいる人を見ると、ほとんどお酒を飲んでいる。天気もいいし、知り合いもたくさんいるし、子どもたちも遊んでいるし、海を見ながらみんなで飲みましょうという感じで。それが一番正しい大磯市の使い方だと思ったので、今年から“湘南最大の昼飲みクラフト市”というテーマを掲げたんです。そうしたら、いつもは車で渋滞するのに、前回は車が少なかった。みんな飲んでいるんです。このテーマでPRしたことにちゃんと効果があったんだと思いました」
そんなふうに、いつも柔軟に、軽やかに発想して、時代のニーズに合ったまちづくりの提案をしている原さん。2026年度からは、港にある食堂の指定管理者を務めることも決まっています。
二人の隠れたつながりとは
ここで北原が、二人の隠れたつながりを紹介しました。
大谷さんの曽祖父は、佐渡島出身の思想家で、現在の武蔵野美術大学や多摩美術大学の創立にも携わり、後に政治家となった北昤吉(きた・れいきち)です。
昤吉の兄は、昭和11年に起きた二・二六事件の理論的指導者とされた北一輝(きた・いっき)です。
そして北一輝の若い頃の恋人で、家族の命により北海道へ嫁ぐことになり、その失恋が北一輝を思想の道へ突き動かしたとされる人物が、松永テルです。このテルが、原さんの曽祖母なのです。

「はじめまして……」「ご先祖様がお世話になりました……?」不思議な挨拶を交わした大谷さん(左)と原さん
北一輝は当時の日本の国際的孤立を国難として憂い、日本国家を改革するために『日本改造法案大綱』を著し、それが青年将校たちのバイブルになりました。
陸軍の青年将校が率いる約1500人の部隊が、天皇の側近や大臣を次々と殺害し、首相官邸や警視庁などを占拠した二・二六事件。青年将校たちは、この本に書かれたことを実現しようとしたというのが、北一輝が極刑を言い渡された理由です。ただ、北一輝自身が実行に直接関わったわけではなく、その影響の大小についてはさまざまな説があります。
またこの本の中には、特権階級や華族制度を廃する、女性の権利を認める、少年労働を禁止する、労働時間を制限するなど、後の日本国憲法を先取りしたような内容も書かれています。近年ではこうした観点から北一輝を再評価する声もあります。
北原は大谷さんから北一輝とのつながりを聞いて以来、新聞などで北一輝が紹介されているのが自然と目に飛び込んでくるようになり、いかに北が日本社会に影響を与えたのか知るようになったといいます。
そんな中、1年ほど前の冬の日、原さんがFacebookで、北一輝の生家の写真とともに、佐渡で「ご先祖のルーツをめぐる旅」と投稿しているのを目にしました。思わず「北一輝と何か関係があるんですか」と尋ね、驚くべきつながりが判明したのです。北原が原さんと大谷さんをFacebookでつなぎ、この日が初めての対面となりました。
「大谷さんの753villageでの活動と、原さんが大磯でやっていることは、きっと何か通じるところがありそうだとは思っていたのですが、まさかご先祖様が恋人同士だったなんてことがあるのかと驚きました。“特ダネだ”と思って、企画魂が盛り上がって。この対談企画を思いつきました。たまたま縁のあった二人が、神奈川の地で似たような面白いまちづくりをしているというのが不思議ですね」と、北原は語ります。
大谷さんは、「家には、北一輝のプライベートな書簡が額に入って飾ってありました。でも、北一輝のものはそれくらいしかないですね。生家は有志の方々が管理していて、看板がついています。これから記念館のようになるかもしれません」というと、原さんは、「今は、地元では英雄のような扱いなんですかね。北家には苦しかった時期もあるんでしょうか」と尋ねます。
すると、大谷さんは「あまりそういった苦しい話は、父親からは聞いていないですね。ただ北昤吉は政治家だったので、戦後は公職追放にあっています。そういった影響の方が強かったのかもしれません」と答え、原さんは「調べると、北一輝はやはりすごく魅力的な面白い人で、エピソードもたくさんあります。眼帯をしていて小柄だけれど、迫力があって“魔王”と言われていたり。中学校の教師で、北一輝に影響を与えたと言われている長谷川清の息子が書いたのが『丹下左膳』で、主人公のモデルは北一輝だと言われています」と、話は止まりません。
この日の対談には、原さんや大谷さんにゆかりがあり、同世代でまちづくりに関わる方も数名お招きしました。参加者の一人、岡部友彦さんからも、自分のルーツにまつわる体験の話が出ました。コトラボ合同会社代表社員の岡部さんは、横浜・寿町から始まり、全国のさまざまな地域でまちづくりに関わっています。

この日集まったメンバー。同世代が多く、共通の話題で盛り上がった。右端がコトラボの岡部さん
「私は13年前から、愛媛県松山市の三津浜のまちづくりに関わっているのですが、実は私の祖父が愛媛県宇和島市の出身なんです。今はもうそちらに親族はいないと聞いていたのですが、お墓を探したら見つかったんです。それが9m四方の敷地で、その大きさにびっくりしちゃって。
その後、つい先日、宇和島で講演をさせていただいたんです。その前に父に聞いたら、遠い親戚が宇和島にいることがわかりました。講演の後の飲み会でその話をしたら、参加者の中にその親戚を『知っています』という方がいたんです。その親戚はもう亡くなっていたのですが、もう少し頑張れば親族をたどれるかもしれません」(岡部さん)
岡部さんの話を受け、「ご先祖を調べてみると、“俺ってそういう風に生かされてるんだな”みたいに思うよね。ファミリービジネスとして代々家業を継いでいる人は、時間軸が5年とかではなく、100年くらいの単位で考えていることに驚かされる時があります。それは、家業として事業承継するからこそできるのではないかなと。短期の効率的な経営を考えれば、そうはできない。現代の市場主義、資本主義に抗えるのはファミリービジネスかもしれませんね」と原さんは話します。それは、冒頭に大谷さんが話した、753villageの地主の齋藤さんのものを見る尺度に通じるかもしれません。
他にもさまざまなお話で会は盛り上がり続け、夜も更けてお開きになりました。

会が進むにつれ、参加者の皆さんもより打ち解けていきました
この会を企画した森ノオトの北原は、最後に、次のように語りました。
「一人ひとりのルーツが絡み合って、この神奈川の地でそれぞれが面白いことをやっているのにロマンを感じます。原さん、大谷さんのお二人にはドラマチックなつながりがありましたが、実は個々の人生や思想の源泉は、探ってみたら意外なところでつながっているかもしれませんね。
ローカルメディアは、私たちのヒーローを探すメディアだと思っています。私にとってのヒーローに光を当てて、文字化していくことは面白い。だからこそ、こういった自己開示ができる場が地域にたくさんあると楽しいなと思います」
自分の先祖のことを考えると、原さんの言葉にもあるように、自分がそこからつながって今生かされていることを感じられます。同時に、未来に向けて長いスパンで考える視点にも気付きます。それは、まちづくりにおいて重要な視点でもあり、原さんも大谷さんも、そして岡部さんも、まさにそういった視点を持ちながら活動されているように感じます。
実は私自身も、少しだけ自分の先祖のことを聞いています。祖父が調べたところによれば、先祖の一人は、ある一揆に加わって負けた農民のようです。歴史に名のあるような人ではありませんが、今の自分では変えられない過去からつながって今の自分があるのだと考えると、自分の確かな足場を感じられます。
ルーツや過去は変えられないと考えると、苦しい思いをする人もいるかもしれません。それならば例えば、地域の過去の歴史に目を向けてみてはどうでしょうか。教科書で習う国の歴史よりもう少し身近なところで、今ここにいる確かさや、未来への視点を感じられるかもしれません。ローカルメディアである森ノオトでのライター活動で、その助けになるようなことを少しでもできたらいいなと思います。
生活マガジン
「森ノオト」
月額500円の寄付で、
あなたのローカルライフが豊かになる
森のなかま募集中!






