私があゆ子さんと初めて出会ったのは、息子を保育園に迎えに行った帰り道でした。ニコニコ笑顔の女の子がうれしそうに息子の名前を呼んでいて、息子もうれしそうに手を振っていました。その女の子とお母さんは、鮮やかな色の組み合わせと柄のお洋服を着ていて「素敵なお洋服ですね」と思わず声をかけると、謙遜しながら「いただきものなんですよ~」と笑顔で会釈してくれました。それからお会いするたび、彼女にゆたかな感性を感じていましたが、ある日、人形作家として「ぬいぐるみや着せ替え人形を作っている」ということを知りました。
「個展にいらっしゃったお客さまで南米に住んでいた方がいて、作品を見て『南米の香りがする』と言われて、気が付いたんです。ブラジルに住んでいた5歳くらいの頃に、父がよくペルーやエルサルバトルなどの民族衣装を面白がって私に着せていて。その時の刺繍や柄の美しさが強く残っているんじゃないかなと。メキシコの色合いを見るといいなーと思いますね。私の場合、生地の素材からインスピレーションを受けて、作り始めます。ワクワクする布というのが大事。それから手触りがよいものや抱きしめたくなるような布ということも大切にしています」
白いクマのぬいぐるみとの出会い
あゆ子さんに布選びの感性が根付いたころ、もうひとつ、人形作家となった今のあゆ子さんの1本の筋となる出会いがありました。
「父からロシアのお土産にと、白いクマのぬいぐるみをもらったんです。小学生のころになると、学校に行きたくない時や、悲しい時、辛い時に抱っこして寝ていた記憶があります。あるとホッとする、決して裏切らない仲間で、とても対等な関係でした。アンデルセンのお話に『すずの兵隊』というのがありまして、それは一本足の兵隊の人形と踊り子の人形の恋の話なのですが、私は幼い頃からそのお話にすごく共感するところがありました。私にとって人形たちは、お話の中の彼らのように意思を持ってそこにいて、私がいない時はみんなで楽しく過ごしているんじゃないか、という幻想がありました」
小学生のころから、フェルトや布をつなぎ合わせて作品を作っていたというあゆ子さん。当時通っていた手芸店の名前まではっきりと覚えていて驚きました。
「イタリアに住んでいたころは、朝市に出かけるとブワーっと布が並んでいて。それを見るだけでもワクワクしていましたね。柄も好きなものばかりでした」と輝く目には、布が美しく並ぶイタリアの街が目の前に広がっているようです。
「子どものころからずっと作り続けて、何百体もお人形がある状態になっていました。思春期のころは、人形を作ることでいろんなものを消化していたような気がします。大学時代は、とにかく女の人の人形を作りたくて、作っていましたね。怒りだとかそういうものを人形で表現していました」
作って売るという仕組み
大学卒業が近づいてきたころ、あゆ子さんは一冊の本と出会います。
「社会のほとんどの仕事に、お金が生み出されるシステムがしっくりと理解できないので、違和感がありました。ちょうどその時、鴨居羊子さんの著書『わたしは驢馬に乗って下着をうりにゆきたい』というエッセイを読んだんです。そのなかに『私はやかんでもなんでもいいから、ものを作って生きていきたい』という一文があって。ほんとそうだなーと深く共感しました。縫製業の世界に進んだのは、『作って売る』という仕組みがわかりやすくてとっつきやすかったからです」
青葉区での暮らしと活動
あゆ子さんが、青葉区に拠点を構えるようになったのは、家具職人の寺本義昌さんと結婚したことがきっかけでした。
「夫の工房が青葉区の寺家町にあって、その工房で共同生活をはじめたんです。畑や自然に囲まれた工房での暮らしは、まるで毎日がキャンプをしているようでした。トイレは家の外でしかも和式。窓を開けたら虫の声がして、ウグイスの声で朝目覚めて。野菜は目の前の畑で採れたてのものが売っている!もともと多摩ニュータウン育ちだったので、畑を見たことがなかったんです。両親の実家も札幌で田舎に帰るといっても街でした。そんな暮らしにどこが地に足がついていないような気がしていたのですが、寺家町の工房で暮らしたことで根っこが初めてはえた気がしました。夫は家具を作って、私は人形を作って、近所で売っている野菜を買って……という昔ながらの生活をしたいという欲求が、もともと自分にあったんだと、自分が欲しているものがよく分かりました」
こうしてあゆ子さんは青葉区で独立し、アトリエ1/4としての活動を始めます。
「いまの布の仕入れは、台湾や上海、パリなど旅行したときに問屋まわりをして仕入れたものもありますが、中心は、個展に来てくださった青葉区在住のマダムからいただくものですね。『うちにも生地があるわよ』とお声がけいただいたことがきっかけです。青葉区に住んでいるお客様は豊かな気持ちを持っている方が多くて、使ってもらえるなら使ってもらいたいと提供してくださいます。刺繍糸は鴨志田のリサイクルショップで購入したり、母からもらったりしています」
人形に物語をつくる・母となって
人形作りをしている時に一番楽しいのは、「人形に物語をつくっていく時」とあゆ子さんは人形の表情を思い浮かべるように微笑みます。
「パターンを作って、ボディを作ったら顔は自分のイメージで作っていきます。目の配置を、少し上に置いたり下に置いたりするだけで性格が変わるんですよ。位置を決めて、目を入れた時に、この子はこういう感じかなぁと性格を想像して、髪の毛を選んでいったり、お洋服は何がいいかな?どんな柄かな?白黒かな?というふうに作業を続けます。音楽がものすごく好きで、人形とつなげて性格を生んでいくことも多いですね」と目を輝かせます。
アトリエ1/4としての活動を開始してから2年、娘さんが生まれます。
「子どもを産んだら、人形を作らなくても満足しちゃって。本当に子どもってかわいいですよね」と優しく微笑むあゆ子さん。
「子どもを産んだら芸術家はダメになると言う人が時々いましたが、まさに私はそのパターン。作りたいという渇望がなくなりました。それと、追われる感じもなくなって、作品の攻撃性がなくなりました。そうしたら、色んなものを受け入れられるようになって、自然体でものを作れるようになりました。それが、すごく大きかったんです。売ろうと思うより、作っていくうちに何かがついてくるんじゃないかな……と思いはじめたら、CMを作っている監督さんから人形を使いたいと声をかけていただいたり、個展を開催することになったりと、少しずつ軌道にのってきたような感じがしています」
取材に訪れた日は、ボタン作家の方とのコラボ作品を制作している真っ最中。刺繍糸をひと針ひと針縫う作業を見学しました。振り子時計の「カチカチ」という音も集中すると聞こえなくなってしまうんですよ、と楽しそうに作業されている姿が印象的でした。こうして人形作りのほかにも感性を軸に活動の幅を広げているあゆ子さん。今後の活動を聞くと
「アニメーションを作りたいという目標はあります。物語が好きなので、人形を動かしたらどうなるんだろう、と見てみたい気持ちがありますね。生きているような人形が好きなんです」と思いを語っていました。
人形と人間が重なり合うとき
あゆ子さんが作る人形には、一つひとつ違う個性から生まれる物語があります。そんな人形を見ていると、一人ひとり違う個性をもち、それこそが魅力である私たち人間の姿と重なります。人形が「誰かにとって、いつも味方になってくれる友だちである」ように、私たち自身も、誰かにとって変わることのないたったひとつの存在なんだとあらためて感じました。じっくりながめたり、手に取って触ってみたり、抱っこしたり、私が人形と過ごしたひとときは、自分が安心できる居場所を見つけたような満ち足りた心地になりました。
子どもの頃から今もなお、人形と共にあるあゆ子さんの生活。「これしかできなかったから」と笑うあゆ子さんに、人形と巡り合わなかった人生は想像できません。一点をじっと見つめる力強い人形の目から、芯のあるあゆ子さんの生き方と感性が伝わってきました。
実は先日、自分が勤める会社のキャラクター「みかんくんとみかんちゃん」の人形制作をあゆ子さんに依頼しました。制作するにあたり、キャラクターの顔や体、お洋服のことなどをお話していると、それだけで想像がふくらみ、物語の世界が広がりました。作った人形がお客さまのもとに行ったとき「幸せにね~」という気持ちで見送るというあゆ子さん。できあがった人形たちがどんな世界に私を連れて行ってくれるのか……会える日を心待ちにしています。
アトリエ1/4
TEL 070-6960-0796
E-mail : ayukohazu@gmail.com
ホームページ:https://www.4bun-no1.com/
「ツタンカーメン堂×波津あゆ子」
日時:2021年1月23日(土)午前11時~2月1日(月)午後7時
会場:白白庵(東京 青山)
*オンライン+アポイントメント企画として開催。
*オンラインは上記日程の中で24時間稼働。
*アポイントメント(予約来店)は会期中の金・土・日・月曜日限定。
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