丸山真澄さんは、かつてシェアオフィス「さくらWORKS<関内>」のスタッフとして私と一緒に働いていました。ある日、「酔鯨さん(私の忍者名)って森ノオトのライターなのですか?」と尋ねられました。私が書いた記事を諸々読まれたそうで、実は丸山さんは子どもも大人も過ごせる居場所をつくる活動に取り組んでいるということを話してくれました。
話を聞くうちに、丸山さんの活動は同じ志を持つ人の指針になるのではないかと思い、たまに活動のお手伝いをしつつ、その様子を取材していくことにしました。
丸山さんは現在2人の子どもを育てています。2020年4月、長女の凉香(すずか)ちゃんが地元の小学校に入学することになりました。丸山さん一家は共働き世帯なので、凉香ちゃんが放課後を過ごす場所を探す必要がありました。
横浜市が所管する小学生の放課後の居場所(放課後児童育成事業)にはいくつかあります。
一つ目は、「放課後キッズクラブ」。「キッズクラブ」または単に「キッズ」などとも呼ばれており、各小学校内に設置されています。学区内に住む児童を利用対象としています。
二つ目は、「放課後児童クラブ」。民間企業や団体が運営していることが多く学区に関係なく利用することができます。一般に「学童保育」と呼ばれるのは、このタイプです。
丸山さんが凉香ちゃんを預けるにあたりこの二つを比較した上で、丸山さんは凉香ちゃんに違う学区の児童とも交流してほしい、そして一日中同じ学校内で過ごすより外に出て活動してほしいという思いから、学童保育を選びました。
「このままでは閉所せざるを得ないかもしれません 」
「凉香が4月に学童に入って最初に行われた保護者会が、閉所の話し合いだったのです。本当にびっくりしました」と丸山さんは当時を振り返ります。
少子化の影響で利用者数が減少し、経営が厳しくなったことが閉所の理由でした。
その学童保育は地域での運営歴が長い施設で、共働き世帯の保護者たちが出資し合って立ち上げ、保護者自身が役員となり運営していました。
凉香ちゃんをこの学童保育に通わせたのは、丸山さん自身も役員として運営に参画し、大人同士がつながるきっかけを求めていたということもありました。
学童保育の閉所は、子どもを別の施設に通わせたり、保護者の働き方を変えたりと、大人と子どもの双方にとって大きな問題です。
現在の保護者運営では、子どもが成長して退所すると同時に保護者もいなくなってしまうため長期的な見通しを持った運営ができない、運営に関わる保護者の負担も大きいという欠点があります。そこで、法人として運営すればそれらの欠点が改善されるのではないかと考え、保護者運営からNPO法人の運営に移行した学童保育へいくつか見学に行って実情を聞くなど、保護者たちもそれぞれに存続に向けた行動を始めました。
学童保育設立の高いハードル
丸山さん自身も愛着のある今の学童の存続を模索しながらも、新しい道を探してみることを決めました。2021年のお正月が明けると、丸山さんは仲間とともに中区役所へ相談に向かいました。そこで渡されたものは「横浜市放課後児童クラブ事業実施要綱」というものでした。
学童保育は児童福祉法で放課後児童健全育成事業として定められており、実施する場合は市町村への届け出、そして市町村が定める条例に則って運営しなくてはなりません。
条例や実施要項を読んでみると、専用区画の面積に細かい規定があるほか、設置が義務付けられている放課後児童支援員には一定の実務経験が必要だったり、開設時点で20人以上の在籍が見込まれることが条件だったり、個人で取り組むにはかなりハードルの高い内容が記載されていました。
「あらためて読んでみて、就労家庭を前提にしている学童保育は、私たちの思いとは少し違うのかなとも思う」。仲間とそんな言葉を交わしていたそうです。
残念ながら、1月中旬頃の保護者会において翌年度をもって学童保育の閉所が決まりました。
就労家庭の子どもは、学童保育やキッズクラブなどの居場所があります。コロナ禍前までは、非就労家庭の子どもでも条件付きでキッズクラブを使うことができましたが、今は利用が制限されています。就労家庭の子どもが安心して利用できる代わりに、そうではない子どもたちの居場所が減り、コロナ禍では公園などにも気軽に行けず、もし家庭が子どもにとって居心地の良くない場所だったとしたら……と、丸山さん。
丸山さんは学生時代から福祉関係の活動に携わり、現在も障害のある子どもが放課後に利用する放課後等デイサービスで働いています。数年前には、養育里親としてもう一人女の子を迎え入れています。
自身の経験から、家や学校で安心して過ごすことができない子どもは必ずどこにでもいて、保護者が就労か非就労かは関係ないということを知っています。全ての子どものために家や学校以外の居場所をつくりたいという思いが、根底にはあったのです。
自分たちが目指すものを地域に話して回る
横浜市には地域ケアプラザという独自の施設があり、地域住民向けに体操教室や健康講座などが行われています。また、地域でボランティア活動などを行いたい場合、その相談にも乗ってくれます。丸山さんたちが相談に行くと、地域のことに詳しい方や、キーパーソンを紹介してくれました。
2月になると、ケアプラザで紹介してもらった自治会などを次々と訪問し、同時に子どもの居場所や子育て支援を手掛ける人たちやNPO法人などの話を聞きに行ったり、将来の活動拠点となりそうな物件を見つけるため空き家バンクを調べてみたり、コツコツと地盤を固めていきました。
場づくりを手掛けているNPO法人れんげ舎を訪れ、代表の長田英史さんに相談に乗ってもらった際には、運営の場と活動の場を分け2階建て構造で考えること、1階(運営)の状態が良いと2階(現場)の雰囲気も良くなる、けれどその反対はない、ということを教えられたそうです。自分たちが大切にしたいことを言語化し、年間のスケジュールを立て、仲間集めや場所探しなど、居場所をつくるためにやることを具体的にまとめることができました。
この辺りから、学童保育をつくるという考え方から、学童保育ではない方法で居場所をつくることもできるのではないかと、丸山さんの考え方は少しずつ変わっていきました。
ナナメの関係ができる居場所をつくろう
同じ学童を利用していた仲間で、後に共同代表となる猪股祥子さんはもともと不動産や建築関係の仕事に就いており、その中でまちづくりに関する事業に携わっていました。そこで、まちづくりにつながる居場所づくりはできないだろうかと考えたのです。縦軸が学校や会社で、横軸が家だとしたら、その間の斜めにあるのは近所のお店であったり、その地域に住む大人だったり。そういった人たちとゆるくつながることを、丸山さんは「ナナメの関係」と呼んでいます。
これからつくる場所はナナメの関係者が集う空間にしたい。そこでの年齢や所属を超えたつながりと、地域に顔見知りがいるという安心感は、子どもはもちろん、高齢者を含む大人の暮らしにも大切なことです。ゼロ歳から百歳までのみんなが、学校や会社を離れて放課後クラブのような感覚で参加できる。「みんなの放課後クラブ」の理念は、こうしてできあがりました。
「あちこちで自分たちの活動を説明したり相談したりしていると、同じ思いで活動している人が集まってきてくれるような感じでした」と丸山さんは言います。
ケアプラザから紹介された人たちに会い続けているうち、横浜上野町教会の牧師さんと話す機会がありました。丸山さんたちの話を聞いた牧師の柴田智悦さんは、教会を活動の場として貸してくださることになったのです。場所の問題も解決しました。
5月には、横浜の子育て当事者が集まる「みんなで話そう!横浜での子育て」ワイワイ会議に参加、その運営には森ノオトの北原理事長も携わっていました。丸山さんと北原さんは同じ大学の卒業生で、所属していたゼミも同じ北原さんは丸山さんの1学年上の先輩なのですが、お互いこの場で再会できるとは思っていなかったようです。
丸山さんは「森ノオトは読んでいたので北原さんが理事長なのは知っていましたが、まさかこんな形で会えるとは。やりたいことを持って行動していると、こういう出会いもあるのだなと嬉しくなりました」と言っていました。
夏の始動に向けて
丸山さんの母校である横浜市立大学には、CSR(企業の社会的責任)に取り組む企業からの相談や導入支援を行う「横浜市立大学CSRセンター」があります。ここのセンター長である影山摩子弥教授のもとにも丸山さんは相談に行っています。
影山教授から「いろいろなことをやってみると、地域のニーズが分かるよ」とアドバイスを受け、夏にチャレンジ企画を行うべく具体的な内容を検討し始めました。
まずは6、7、8月の3カ月間をチャレンジ期間とし、いろいろな内容でやってみることにしました。
・歴史散策:この地域に昔から住んでいる人と一緒に街歩き
・ものづくり部:段ボールや廃材でハウス制作
・宿題カフェ:みんなで夏休みの宿題をやる、その場に参加した大人たちも手伝ってくれる
・ボードゲーム部:年齢に関係なく楽しめるので、大人の本気を見せるチャンス
企画立案時点では3回目の緊急事態宣言が発令されており、コロナ禍での参加を懸念する人もいるはずです。厚生労働省が定める「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」を参考に、コロナ対策は徹底することにしました。
コロナ禍になってから外出や活動が制限され子どもたちはその年齢で経験すべき多くのことを失っている中で、自分たちが活動することに意味がある、という丸山さんたちの強い信念がそこにはありました。
4月にSNSでの活動の発信を始め、5月には活動にあたっての資金繰りについても動き出しました。活動が始まれば参加費として収入がありますが、当面は運営者自身の手弁当で工面することになります。しかしそれだけでは苦しいので、活用できる助成金を調べました。
その結果、国立青少年教育振興機構の「子どもゆめ基金」と中区社会福祉協議会の「なかくふれあい助成金」の2つを選び、それぞれ申請しました。
年頭の活動開始から約半年後の2021年6月19日、みんなの放課後クラブとして初めての活動を行い、8月にかけて合計6回の居場所を開きました。
7月の宿題カフェでは、小学校1年生から中学校3年生までの子ども12名が参加していました。大人は大学生8名と元学校教員の80歳代の男性1名が集まり、子どもたちと一緒に宿題に取り組んでいました。子どもたちは大学生とは初対面で緊張するのではないかという丸山さんたちの心配は無用で、早々に打ち解けた雰囲気に。大人から褒めてもらえるのがうれしくて、1週間分の量を一気に終わらせてしまう子どもがいたり、受験を控える中学生は大学生から勉強のコツを伝授してもらったり。そんな場の様子を見守りながら、丸山さんは家や学校以外の場所で過ごす時間はやはり必要だったのだということをあらためて実感しました。
コロナ禍の中での模索、そして走り出して見えてきたこと
7月後半から8月にかけて、新型コロナウイルスの感染者数が増加傾向に転じてきました。
だれかとつながる時間は、子どもたちにとって必要な時間という、丸山さんたちの信念がここでも貫かれます。
より厳重な感染対策を施せば対面での実施は可能です。けれどそれでは禁止事項が増えて、子どもたちに更にストレスを与えることになるのではと考えた結果、対面方式を断念しました。
代わりに取り入れたオンライン方式では、お馴染みのオンラインアプリ「Zoom」を使いました。ブレイクアウトルーム機能を活用して、宿題ルーム、おしゃべりができる屋上、リクエストで曲が聞ける音楽室などと目的ごとの部屋を作り、参加者が自由に行き来できるようにしたのです。
Zoomに接続可能なデバイスを持っていなかったり、使い方に慣れていなかったり、対面と比べると宿題もやりにくかったことは確かです。けれど、誰かとつながっている時間はつくることができたという実感はあり、使い方に慣れてくれば、もっと自然な時間になるのではという可能性も見出すことができました。
3カ月間のチャレンジ企画が終わり、これまでの活動内容を振り返りつつ、次の活動に向けた話し合いを行いました。
みんなの放課後クラブは、子どもだけではなく大人も含めた居場所という理念で、ボードゲームやミニコンサートなどいろいろなイベントやプログラムを企画しました。大人も楽しめて居心地の良い時間を過ごしてもらおうと意識しすぎたのか、運営やサービスを提供することばかりに注力し、肝心の参加した大人との対話や交流をする機会があまり持てなかったと言います。
むしろ、ここに集まる大人たちは、楽しませてもらうというより、みんなと一緒に何かをやりたいと思って来ているのではないか。サービスをする、されるの関係では、ナナメの関係は築けないのでは、と思い始めたそうです。
検討を重ねた結果、10月からの活動は大人も参加できるものの、小学生を対象にした居場所に力点を変えていくことになりました。
子どものころに暮らしていた家
丸山さんの活動の原点には、北海道札幌市で過ごした子どもの頃の環境があることに、活動をしながら気づいたそうです。
「『開かれた家』とでもいうのでしょうか、私の父がとても世話好きな性格なので、いろんな人が訪ねてくる賑やかな場所でした。例えば、ちょっとやんちゃな子が近所にいたんですけど、父は自分の子どもと分け隔てなく接していました。複雑な家庭環境にある子で、時には警察沙汰になるような問題を起こすこともあったのですが、その子を信じて褒めたり時には叱ったり。大人になった今でも父を訪ねてくるほどです。子育ては親だけではなく周りのみんなで見ればいい、という環境でした」と丸山さん。
まさにナナメの関係、みんなの放課後クラブの理念そのものですが、そのことを意識しながら活動していたわけではないそうです。
持続可能な仕組みづくりに向けて
みんなの放課後クラブ運営の傍ら、丸山さんは9月から11月まで関内イノベーションイニシアティブ株式会社が主催する「ソーシャルベンチャー・スタートアップ講座」に参加していました。この先も無理なく継続して行ける活動にするために、ひとつの事業として発展させていこうと考えているからです。
「今は楽しく活動しているのですけどね。これを10年続けるとなると、持続可能な仕組みをちゃんと作っておかないと。私や猪股さんが参加できなくなったら終わってしまうようなことは避けたいのです」と丸山さんは言います。
丸山さんは、ゆくゆくは法人化することも考えているそうです。
今後、より規模の大きな補助金や助成金を申請したり、自治体や企業等から子育て支援などの業務を受託して事業収入を得ようとしたりすることを考えた場合、法人格がないとその要件すら満たさないこともあります。前述の通り、活動の資金源は、主に自治体等からの助成金や、有志者からの寄付、イベントの参加費などです。助成金はいつまでも限りなく支給されるものではありません。有志者からの寄付も、世の中の経済状況などによって増えたり減ったりすることがあります。どちらも自分の意志でコントロールすることはできません。安定的な資金源を作るためには、自分たちでコントロールすることができる外部からの収入を得る、つまりビジネスとして売上を立てることです。
この点について丸山さんは、「ビジネスって言うとお金儲けって感じがして、ちょっと抵抗があるんですよね。スタートアップ講座でも、持続可能なビジネスを描き事業を推進するための経営力を養成するということで学んでいるのですが、『事業化』という部分の理解がまだまだ足りず」と少々悩んでいる様子でした。
確かに、お金儲けだけを追求するビジネスはどこかで破綻しますが、それを追求しないビジネスもどこかで行き詰まってしまいます。
20年以上福祉に関わる仕事に携わってきた丸山さんにとって、起業家や会計のプロなどビジネスの最前線に立つ人たちと触れあうことのできたこの講座は、ビジネスということについていろいろな視点から考えることができた良い機会だったようです。丸山さんなりのビジネスモデル構築も、お金とそれ以外のものと、ナナメの関係がカギを握っていそうです。
10月からのイベントの中には、忍者教室があります。私が取材などで現地を訪れているうち、忍者に興味を持つ子どもが現れ始め、遂にはイベントの一つとして盛り込まれることになりました。私は他人に教えを授けるほど忍術について熟知しておらず、仲間の忍者の力を借りて開催することになります。
「学童を卒業したくらいの年齢の子どもが参加するかもしれません」と猪股さん。「『忍者』って告知したら大人も問い合わせてきました」と丸山さん。「手裏剣つくったよ」と凉香ちゃん。かつての忍者が手裏剣を懐に入れて御守としていたのを知ってか知らずか、ハートマークが穿ってあるではござらんか。さて、忍者がナナメの関係を築く立役者となるか否か?
<みんなの放課後クラブ>
会場:
・横浜上野町教会
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