水曜日はバインミーの日!お店のないお店「チャンさんのベトナム食堂」ができるまで
たまプラーザのコミュニティスペース「3丁目カフェ」で、月に数日、水曜日だけオープンするベトナム料理屋さんがあります。その名も「チャンさんのベトナム食堂」。看板メニューは、手作りの具があふれんばかりに挟まったバインミー!おいしさの秘密を知りたくて、ベトナム・ハノイ出身のチャンさんにお話を伺いました。(2022年ライター養成講座修了レポート・佐藤美加)

私がチャンさんのバインミーを初めて食べたのは、今年の4月。チャンさんが3丁目カフェで定期的な料理販売を始めてすぐの頃でした。

サクサクで軽い食感のバゲットの中に、とろけるチャーシューがぎっしり。レバーパテがほのかに鼻をかすめ、ガーリックバター風味の鶏肉のフレークと、パンチのあるパクチーが鮮やかに香りを添えます。シャキシャキのきゅうりに、たっぷりの紅白なますなど、野菜もみっちり詰まっていて食べ応えも満点!なんておいしいんだろう…!あまりのおいしさに呆然としていたところ「お味はどうですか?」とキッチンからわざわざ聞きにきてくれたのが、ベトナム・ハノイ出身のチャンさん(グェン・ティトゥ・チャンさん)でした。「パンから全部、手作りなんです」。さらりとそう言った「全部手作り」の秘密にせまるべく、今回、オープン前の貴重な仕込みの時間にお邪魔してきました。

 

 

これがチャンさんのバインミー

午前10時。私が3丁目カフェに到着する頃には、すでに仕込みは佳境を迎えていました。厨房の作業台には数々の食材が整然と並べられ、オーブンはすでにフル稼働の様子。中の様子を絶えず気にかけながら、手際よく厨房を歩き回るエプロン姿のチャンさんが凛々しく見えます。

スパイスの香り豊かな甘辛いタレに一晩以上漬け込んでから、じっくりと焼き上げます。だからほら、このチャーシューはこんなにもツヤツヤ!そしてホロホロ!

オーブンから最初に出てきたのは、華やかな香りをまとったベトナム風チャーシュー。

「お肉はいつも、川崎北部市場で買っています。シンガポール出身の店主がやっているお店でね。ベトナム料理のこともよく分かってくれているんです。チャーシュー用の塊肉も、春巻きに使う挽肉も、お肉はみんな、赤身と脂身のバランスを指定して仕入れをお願いしています」。仕入れ先ひとつとってもそんなこだわりが!と驚いていると、チャンさんが続けます。「つぎは、パン、焼きますね」。

「パンは、国産小麦粉にこだわって作っています。できるだけ天然酵母で作りたいなと思ってがんばってる」。テキパキと向かったのは、すでにいくつもの生地が入れられた発酵機の前。きれいにふくらんだ生地を手早く取り出すと、ひとつひとつ丁寧にクープ(切れ込み)を入れていきました。

 

「その日の天気で変わってしまうから、パンを焼くのはいつも一番難しい」。そう言って何度もオーブンを覗き込みながら1℃、1分を微調整していきます

直前まで霧吹きでまんべんなくパンを湿らせてからオーブンへ。スチームをかけながら焼いた後、さらに表面をパリッとさせるために温度を上げて仕上げていきます。

焼きたてパンに耳を澄ますと「パリパリパリ」と音が!これが上手に焼けた合図なのだそう

そして20分後。焼き上がりました!厨房は香ばしい香りに包まれます。焼きたてを提供できるよう、販売日には朝から準備を進めているそうです。さぁ、いよいよバインミーの最終工程。パンの中に具を挟んでいきますよ。

お肉もたっぷり挟みます!右から、ガーリックバター風味の鶏肉フレーク、豚レバーのパテ、そして先ほど焼き上がったチャーシューをほぐしたもの

焼きたてパンに挟む肉系の食材は全部で3種類。野菜は、きゅうりとパクチー、それから味のアクセントとなる大根とにんじんのなます(酢漬け)。鮮度の良いものを求めて、あざみ野ガーデンズの産地直送マルシェ「ファームドゥ」で購入することが多いそう。仕上げに、マヨネーズとチリソースを合わせた特製のタレを回しかけます。驚くべきことに、なんと、このマヨネーズもお手製なんだとか!「全部手作り」。そう言い切ったチャンさんの「全部」を指すものが、本当に隅から隅まで「全部」だったということに感動してしまいました。これはおいしいわけです!

チャンさんの焼くバインミー用のパンは、プレーン、全粒粉、竹炭入りの全3種類。注文の際、好みのパンを選べます

手間暇をたっぷりかけて、ついにバインミーが完成しました!写真からそのおいしさが伝わっているでしょうか。あぁ、今すぐ食べたい!

 

 

ベトナムでは空手一筋!

予定通り11時に営業開始。販売が落ち着いた午後3時、あらためてお話を伺いました。「チャンさん、ベトナムにいた時もお料理はしていたのですか?」。インタビューを始めた矢先の質問に、思いがけない答えが返ってきました。「いえ。ほとんど料理したことがなかったんです。わたし、ベトナムでは空手の代表選手だったから」。

道着姿がかっこいい!チャンさんは、日本在住ベトナム人空手クラブの副代表も務めています(写真提供:チャンさん)

小学校のイベントで空手と出会ったことをきっかけに、その才能を伸ばしていったチャンさん。15歳で寮に入り、プロアスリートとして専門教育を受ける生活が始まりました。寮で食べるのは、専門の料理人が手がけるアスリートのための食事。口に入れるものは完全に寮の食事まかせ。自分で料理をすることはなく、朝から晩までトレーニングに明け暮れる日々だったそう。

 

「お母さんは、ハノイでフォー専門の食堂をやっていました。でもわたしが帰宅するのは週末だけ。仕入れや仕込みを少し手伝うことはあったけれど、料理を自分ですることはほとんどなかった。昔から食いしん坊で、食べるのは大好きだったけど」。そう言って笑います。

 

体育大学に進学し、選手として海外遠征を続けながらホーチミンで就職。大学の教員となったチャンさんは、JICA海外協力隊としてベトナムでテニスコーチをしていた日本人男性と出会い、結婚しました。2007年に来日し、最初に暮らしたのは北海道。料理をほとんどしてこなかったチャンさんが本格的に料理と向き合うようになったきっかけは、お子さんが生まれたことだったと言います。

 

離乳食を作るようになって思い出したのは、ベトナムで自分がこれまで食べてきた食事のこと。茹でるだけ、焼くだけなど、調理自体はいたってシンプルだけれど、素材の味をそのまま生かした故郷の味は、小さな子どもにも安心して食べさせられるものだったと気づいたのです。今も舌に残る亡きお母さんの味や、寮での食事を思い出しながら、チャンさんは3人のお子さんへのごはん作りに丁寧に向き合うようになりました。「新鮮でよい食材を使えば料理はおいしくなる。シンプルに作るほどおいしさがわかる」。バインミー作りにおいても、食材選びに丁寧に向き合い、極力シンプルな味つけにこだわるその理由の源泉を見たような気がします。

 

 

いつからだって人生は変えられる

「ベトナムの友達は最近のSNSの投稿を見て、わたしが料理をしてることにびっくりしてる。別人になっちゃったんじゃないの?って(笑)」。でもね、とチャンさんは続けます。「みんな、いつだって、人生を変えられる。自分のできることを知って努力を続ければ、いつからだって違う自分になれるよ」

 

チャンさんの人生が思いがけない方向に動きはじめたのは、たまプラーザへ家族で引っ越し、子どもが幼稚園に入園した2013年頃。幼稚園の送り迎えで毎日会うママ友にベトナムの揚げ春巻きを振る舞ったところ、本場の味に驚かれ「ぜひ作り方を教えてほしい」と頼まれたことから始まります。自宅でベトナム料理を教え出すとすぐ評判を呼び、私も私も、と、ママ友づてでたくさんの人がやってくるようになりました。

次第に自宅での運営に限界を感じ、開催場所として頼ったのが、ここ、3丁目カフェでした。「決めたらすぐ行動する」というチャンさんは直接出向いて直談判。定期的にベトナム料理の教室をスタートさせます。

不定期開催の料理教室では、バインミーの他、フォーや春巻き、汁なしビーフンのレッスンも。たまプラーザのパン屋「BARIETA」や、オーガニック・ヴィーガンカフェ「CUL DE. SAC. CAFE(2022年7月に営業終了)」での調理の仕事を始めたのもこの頃。パン作りや調理の技術を、飲食店で働きながらさらに高めていきました。「努力を続ければ、いつからだって違う自分になれる」と話すチャンさんがこれまでしてきた「努力」を思い、その言葉の重みを感じずにはいられません(写真提供:チャンさん)

応援したいのは、チャンさんだから

コロナ禍で料理教室の開催が難しくなり、料理の販売をスタートさせる際にも親身になってくれたのは3丁目カフェでした。これまで前例のなかった、外部の人にキッチンを貸し出すことを許可したのがオーナーの大野承さん。「チャンさんはいつだって一生懸命だからね。仕事ぶりも丁寧で、応援したくなる。気持ちがいいよ」と言います。

 

「最初はみんな、わたしがベトナム人だから応援してくれる。でも今は、チャンさんだから応援してると言う人が増えて、すごくうれしい!」。この言葉には、私も胸が熱くなるものを感じます。

 

たまプラーザに引っ越してきてよかった、この街でのさまざまな出会いが今の自分を作っていると、取材中もたくさんの人の名前を挙げて感謝の思いを話してくれました。今も日本語は少し苦手、と謙遜するチャンさんですが、言葉を選びながらも会話の中で何度も出てきた「しんせつの送りあい」「おかげさま、の気持ち」というキーワードを幾度となく思い返しています。

 

 

実店舗を持たないのはなぜ? 

チャンさんのベトナム食堂は今、3丁目カフェを飛び出して、さまざまな街へと挑戦の場を広げています。

2022年7月、第11回たまプラーザ サマーフェスティバル出店の様子。この旗が出店の目印です(写真提供:チャンさん)

ところでチャンさんは自分のお店、実店舗を持ちたいと思わないのでしょうか?私の質問に対するチャンさんの答えは「今はNO」。「今、一番大切なのは家族。しばらくは子育てを最優先にしていたい」ということがひとつ。もうひとつ大きな理由として「お店にしてしまったら、つまらないから」だと言います。

 

つまらない…?不思議に思っていると、チャンさんは続けます。「自分の作るものがおいしいのは、あたりまえ。でもほんとうの“おいしい”は、お客さんが決めること。お店にしてしまうと、お客さんがほんとうにおいしかったのか、きっとわからなくなっちゃう。それはすごくつまらないと思う」。

 

それを聞いてハッとしました。そういえば、毎回バインミーを食べるたび、チャンさんは必ずキッチンから出てきて「どうだった?」と聞きにきてくれていました。あれはたまたまなんかではなく、意図して毎回やっていたことだったのです。

 

ママ友が食べにきてくれるというフェーズを超え、今チャンさんが直面しているのは“おいしい”と思ってくれる顧客を増やす、という課題です。「おいしくなければ、お客さんはもう食べにはこない」と唇を固く結んだチャンさん。

 

「なぜわざわざ今日、食べに来てくれたのか。わたしの料理はどうだったのか。どうしたらもっとおいしくなるか」。チャンさんは“おいしい”を日々アップデートするべく、食後の何気ない会話の中から、ヒントを探し続けているのです。そのためには、実店舗を構えるのではなく、お客さんと近いところで1対1のコミュニケーションを取りながら運営する、今のスタイルがしっくりきているのだろうと腑に落ちました。

 

ストイックに試行錯誤を続け、自分の料理を洗練させていくチャンさんのこの姿勢は、そう、まるでアスリートのようです。空手の第一線を離れた今も、青春時代に身につけたアスリートとしての生き方が染みついているのかもしれない。そう思ってふと見ると、キュッと結んだエプロンの紐が、なんだか空手の帯にも見えてくるような気がしました。

とびきりのスマイル。チャンさんに会えるから水曜日が待ち遠しい!

決まった店舗を持たない「チャンさんのベトナム食堂」。3丁目カフェでは、水曜日の営業が基本です。正確な営業日はぜひ、チャンさんのInstagramでチェックしてみてください。日々おいしさを更新し続ける珠玉のバインミーがあなたを待っています!

Information

チャンさんのベトナム食堂

日時:毎月水曜日 月2-3回 11:00-14:00

場所:3丁目カフェ

 

営業日、イベント出展などはInstagramでご確認ください。

公式Instagram:https://www.instagram.com/thithutrang_n/

イベント情報:https://www.instagram.com/trangs.dining/

 

3丁目カフェ

横浜市青葉区美しが丘1-10-1 ピースフルプレイス1F

東急田園都市線・たまプラーザ駅から徒歩5分

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この記事を書いた人
佐藤美加ライター
新宿生まれ新宿育ち。音楽業界出身、SNS運用を主な生業とするフリーランス。2児の子育て中、森ノオトの記事に救われたことがきっかけで書き手に。この街のたくさんの物語に光を当てて届けたいと思っています。編み物はライフワーク!短歌はじめました。
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