
明るい日差しの差し込む、家族のための「おうち」
横浜市金沢区、侍従川が平潟湾へと注ぐそのほとりにある、大きな窓と明るいクリーム色の壁が印象的な建物。「横浜こどもホスピス〜うみとそらのおうち」(通称:うみそら)です。

横浜こどもホスピス〜うみとそらのおうち
中に入ると、広々とした明るい空間に、カラフルで大きなブランコが下がっています。何人もが座れるテーブルやオープンキッチンも。大きな窓からは水辺が見えます。

テーブルは車いすでも使いやすい形。右手に見えるオープンキッチンは、親子が向かい合って使いやすいよう、片側の天板が低く、車いすで入れる形になっている
水辺が全面に見える、明るい階段を2階へ上ると、ここにも天井の高い広々とした空間が。たくさんのおもちゃや、壁に大きく映し出せるプロジェクターも備えています。

うみそらの2階。天窓から日が差し込む
その隣には広いベッドルーム、大きなお風呂、ミストサウナやロッキングチェアなどもあります。

大きなお風呂。ビニールプールも出せる

家族みんなで泊まれるベッドルーム。介助が必要な子でも、天井のリフトでお風呂まで移動できる
「ホスピス」というと、一般には治療が難しくなった方に対するケアの場というイメージが強いかもしれません。ただ、もともとこの言葉には「丁重なもてなし」「旅人の休息の地」といった意味があります。
こどもホスピスは、生命にかかわる病気とともにある子どもと家族のための場所です。
子どもたちはここで、自分のやりたいことをして楽しく遊べます。病院や自宅では叶えることが難しい時間を、一人ひとりに寄り添う専門スタッフと一緒に実現していく、第二の「おうち」なのです。
建設前、小児がんで亡くなった子どもたちの家族にアンケートを取ると、「終末期にしたかったこと」で一番多かったのは「子どもと同じベッドで過ごしたかった」。次いで「手料理を子どもに食べさせたかった」「子どもと一緒にお風呂に入りたかった」でした。
うみそらではこの3点を叶えられる設備を整え、さらに来るだけでわくわくするような、「また来たい」と思える空間をつくっています。
利用する子どもたちは、入院中にはなかなか会えないきょうだいと遊び、親族や友達と一緒に過ごすこともできます。
キャンプをしようと2階にテントを張ってプロジェクターで森の映像や音を流したり、クリスマスパーティーをしたり。スタッフが子どもや家族のさまざまな「やりたいこと」に寄り添い、実現させてきました。
うみそらは、医療や福祉の制度に基づいて建てられたものではありません。
「制度に頼ってしまうと、経営上どうしても、報酬の高いことをしなければならなくなります。ただ、家族によってやりたいことは違います。それぞれの家族に寄り添って思いを形にし、楽しい時間をつくるためには、制度では解決できないことがある。自分たちが裁量を持てるよう、寄付による事業としたのです」と田川さんは話します。
それは、うみそらが今後も継続的に寄付を必要とするということでもあります。
この場所の建設に始まり、この先もずっと寄付を必要とする中で、横浜こどもホスピスプロジェクトではどのように共感や応援の輪を広げてきたのでしょうか。
私自身、以前からSNSで難病の子どものご両親の発信を見るたび、胸を痛めながらも、自分に何ができるのかわからず、動けずにいました。世の中にたくさんの社会課題があり、たくさんの団体がその解決に取り組んでいる中で、どこにどう支援すればいいのか、自分が選ぶのもおこがましいような気がしていたのです。
私以外にも、寄付することをなかなか身近に感じられない方、思いに共感しても支援するのはハードルが高いと感じる方がいらっしゃるのではないでしょうか。
一方で、森ノオトの読者や周りの方々には、自分でこれから何か始めようとして、どうすれば共感や支援の輪を広げられるかと考えている方もいます。
田川さんにお話を伺うことで、どちらの立場の人も、ヒントをいただけるような気がしました。
子どもが子どもらしい時間を過ごし、家族が孤立から救われる場所
田川さんの次女・はるかさんは、1991年に産まれました。
活発に育っていたはるかさんですが、6歳のとき、小児がんの一種である小児脳幹部グリオーマという診断が下されました。当時、そして今も、決定的な治療法が見つかっていない難病です。医師からは、余命半年ほどだと告げられました。
田川さん夫妻は、はるかさんの希望や願いをできるだけ叶えたい、家族の時間を大切にしたいと考えて一日一日を過ごしました。
はるかさんが一時的に回復したときには、ハムスターを飼い始めたり、旅行に出かけたりもしました。5カ月の闘病の後、はるかさんは6歳8カ月で、この世を去りました。
その後田川さんは、「どうすればよかったのか」「親としてやるべきことはやれたのか」などと考え、何も手につかない悲しみの時間を過ごし、今につながる活動を始めるまでには5年近い時間がかかりました。
はるかさんとの日々を思い返す中で、入院する子どもたちやその家族の環境を改善できないかと考え、車いすの子どもたちが天気のいい日に外でごはんを食べられるテーブルを病院に寄贈したのが最初のアクションです。その後、仲間とNPO法人スマイルオブキッズを立ち上げ、院内コンサートなどを始めました。
そして、闘病中の子どもや家族の困りごとを聞く中で、入院する子どもたちの家族の滞在施設をつくりたいと考えるようになりました。
建設費を集めるため、募金活動やチャリティコンサートを重ねる中で、篤志家からの大型の寄付もありました。約3年かけて建設費を集め、2008年に完成したのが、神奈川県立こども医療センターにほど近い南区六ツ川にある「リラのいえ」です。
2013年、リラのいえに多額の寄付がありました。看護師をされていた石川好枝さんからの遺贈でした。遺贈(遺贈寄付)とは、本人の意志のもと、遺言によって遺産の一部またはすべてを相続人以外に寄付することです。
石川さんの弁護士に会いに行った田川さんは、石川さんが生前、脳性まひの子どもたちの病棟に長く勤めていて、本来はこどもホスピスに遺産を使ってほしいと希望していたことを知ります。
田川さんはリラのいえの開設前に、ある勉強会でイギリスのこどもホスピスを知りました。その存在に驚き、はるかさんの生前にそれがあれば利用したかったと感じたと言います。
そのときはリラのいえの建設を目指す最中で、自らが携わることは考えていませんでしたが、石川さんの遺贈をきっかけに、思いがよみがえりました。
「子どもが終末期にどう過ごしたかで、親が立ち直るまでの時間が変わると思います。こどもホスピスのような場所があれば、それは絶対に早い。
また、子どもが死に向かっていくとき、家族は不安の中で孤立していることも多いです。
気軽に相談できる居場所があり、一緒に悩んでくれる人がいるといいと、娘の闘病生活の中でも思っていました。
そして、子どもは病気でも成長、発達します。しかし日本の病院では医療を行うことを優先することが多く、子どもたちは不安の中で子どもらしい時間を取れずに、成長に蓋をされてしまうことも多いです。
大人になれないなら、生きている時間に、子どもが本当にやりたいことや楽しい時間を経験することに意味があるのではないかと考えたのです」

うみそら2階にある「灯りのおうち」。病院では「自分で決める」機会の少ない子どもたちが、色とりどりの手作りランプの中から自分の好きなものを選び、部屋に持って行く
ただ、建設や当面の運営費には、遺贈分に加えて多額の資金が必要でした。それでも田川さんは、こどもホスピスの開設を目指そうと決めました。
「娘のはるかが『それなんとかしようよ、パパ』と言っている気がしました。きっと娘が力になってくれると思えたときに『よしやろう』と決めたのです」
呼ばれればすぐに講演。企業、議会なども力に
2014年に田川さんは「横浜小児ホスピス設立準備委員会」を立ち上げました。メンバーにはリラのいえの関係者や、そこから紹介を受けた横浜の若手経営者、また看護師や研究者など多様な職種の人が集まりました。
そして、まずはメンバーの所属する団体などの会合で話す機会をつくってもらい、寄付を集める活動を始めました。「呼ばれればすぐに行って話をしていた」という田川さん。チャリティコンサートも年4回というハイペースで開催しました。
2017年にはNPO法人横浜こどもホスピスプロジェクトを設立。その際、横浜銀行グループの浜銀総合研究所に事業計画策定の協力をしてもらったことをきっかけに、横浜銀行の創業100周年記念事業の一つに採用されました。
横浜銀行からは寄付を受けるだけでなく、すべての支店にパンフレットを置いてもらい、行員の方々が営業先の関連企業に紹介するなど、多様な支援を受けてきました。
他にも、さまざまな形で支援の輪が広がりました。
例えば山手線全駅を歩いて回るチャリティイベント「東京ヤマソン」の主催者と知り合い、共感を得て参加費を寄付してもらえることに。主催メンバーには外資系企業に勤める人が多く、その外資系企業からの寄付やボランティアにもつながりました。
また、横浜市会の超党派の議員に集まってもらい、勉強会を開きました。
その後、参加した議員の一人が市長に議会でこどもホスピスについて質問し、それがきっかけで市も支援の方向に動き始めました。当時の市の医療局長は「一行政マンとしてやりがいのある仕事だから」と、担当を前向きに引き受けてくれました。
そして2019年、横浜市が市有地を30年間無償で貸与し、看護師一人分の人件費を5年間補助するなどの条件をつけて、「生命を脅かす病気の子どもと家族の療養生活支援施設((仮称)こどもホスピス)」の整備運営事業者を公募。横浜こどもホスピスプロジェクトが事業者に選ばれました。
建設の過程でも、世界最大級の建築設計事務所の日本法人が無償で室内のデザインを提供してくれ、テーブルなども家具を扱う企業が提供してくれるなど、さまざまな支援がありました。
そして2021年11月、「横浜こどもホスピス〜うみとそらのおうち」が開所したのです。
開所後も、単発の寄付だけでなく「マンスリー会員」「賛助会員」「遺贈」などさまざまな寄付のメニューを用意しています。また、ボランティアやイベントへの参加など、多様な形でうみそらに関わる人を募っています。
企業・団体から資金・物品の寄付を受けたり、企画コラボレーションを行ったりすることもあります。例えば、うみそらのキッチンにある冷蔵庫の冷凍室には、ある外食チェーン企業から毎月提供される冷凍食品がぎっしり。
利用する家族が手軽に食べられるもので、メニューの希望も受け付けてもらえます。キッチンの棚にはあるお菓子メーカーから提供されたお菓子が詰まっています。
「近年は社会貢献やSDGs達成に向け、自分たちは何ができるか考えている企業が増えているようです。問い合わせがあったら、大切に話を聞こうとしています」と田川さん。
ときにはうみそらの側から「こういうことはできませんか」と相談することで、企業もニーズを把握し、うみそらにとって役に立つ形で支援を受けられているようです。
子どもたちが、社会を変える確かな力に
建設に向けて寄付を集める中では、こどもホスピスの必要性を「繰り返し伝えるしかできなかった」と田川さんは話します。
「会合などで私が話し終わった後、『実は自分の身内にもそういう子がいて』などと話しに来てくれる人もいます。そういう人たちは必ず応援してくれる。
行けばそれだけ、その中の誰かしらが支援をしてくれる、共感してくれる人は絶対にいると思っていました」
活動を始めたころは、はるかさんの話を「まだ普通にはできなかった」という田川さん。それでも、活動のきっかけとして話し続けました。
「『実は娘のはるかが』と話すと、皆さんが結構共感してくれるんです。娘の力を借りることは、亡くなった娘のことをその都度思い出せることでもあり、絶対にいいことだと思いました」
田川さんの話に共感を示してくれたのは、病気の子が身近にいた人ばかりではありません。
「お子さんがいる方には響いたのかなと思います。
自分の子どもは今、健康でいるけれど、確かに困っている子どもや家族がいるよね、と考えてくれたようです。『自分の娘も今、(はるかさんが亡くなったのと同じ)6歳で』と言ってくれる人もいました」

北側に設けられた大きな窓から優しい光が差し込む。外のウッドデッキでは釣りもできる
うみそらのことを知ってもらうのに「マスコミの力も大きかった」と田川さんは話します。
2021年に開所してからは、テレビで取り上げられることも増えました。特に反響が大きかったのは、開設から約1年後にNHKで全国放送されたドキュメンタリーで、その日は夜中まで続々と寄付の申込みがありました。
「それは利用したご家族が、映像に映るのを許可してくれたおかげです」と田川さんは話します。こうしたメディアの取材は、まずうみそらのスタッフがメディアと打ち合わせ、家族にきちんと許可を取り、慎重に行っています。
このドキュメンタリーに登場した子どもの一人は、うみそらの利用者第一号の女の子。
その子は「うみそらでもう一回花火をしたい」と泊まりに来ました。その夜に花火をすることができ、「きれい」とつぶやく様子を、NHKのカメラマンが撮影していました。
翌朝、女の子の体調が悪化。自宅に帰り、翌日に亡くなりました。最後の花火となったその場面を、ドキュメンタリーで流すことを家族が許可してくれたのです。
そのご家族は「スタッフみんなが家族のように、彼女の人生を支えてくれた」と話していたそうです。
そのご家族自身も、うみそらのスタッフを家族のように感じたからこそ、うみそらを広く伝えることに協力してくれたのかもしれません。
また、別のあるご家族は、息子さんを連れてうみそらへ遊びに来ていましたが、体調が悪化。うみそらのスタッフがご自宅を繰り返し訪問して一緒に遊んでいましたが、そのときもテレビカメラが回っていました。
「その子が亡くなったと連絡をもらって、われわれも飛んでいったんですけれど、その場面にもカメラマンがいて。家族が承諾しているのです」
WEBでも公開されているそのテレビ番組の映像を「今も使わせていただいています」と田川さんは話します。
教員の研修でうみそらのことを伝えるとき、また生命保険会社の研修で家族への声かけを学ぶときなどに、この映像を見て考えてもらうことがあるのです。

うみそら2階にある車型の乗用玩具。男の子もうみそらを訪れたとき、これに乗っていた
田川さんの話に繰り返し出てくる娘さんもそうですが、短い間しか生きられなくても、子どもたちはその姿、その命をもって、多くのことを伝え、確かな力となっています。
「自分の娘のミッション、産まれてきた意味は、小児医療の環境を変えることだと思っています。短い命の子は、絶対に大きなミッションを持って産まれてきているんです。子どもには、社会を変える力があるのです」
地域の子どもも訪れる、開かれた場
メディアに出るという形でなくても、うみそらがこの場所にあり、多くの子どもたちが利用していること自体が、多くのことを伝える力になっています。
田川さんはうみそらの開設前、ドイツ・デュッセルドルフのこどもホスピスを見学に行ったときに、地域の子どもたちから「デュッセルドルフのこどもホスピスは、ぼくたちのまちの誇りだ」という言葉を聞きました。それは田川さんの「心に火がついた」一言だったといいます。
「日本ではまだ『ホスピス』という言葉に抵抗を感じる人が多いです。まずは子どもたちに、こどもホスピスがどんな場所か理解してもらい、何ができるか一緒に考えてもらえるといいなと思います。
そうすれば、子どもたちが大人になったときに、こどもホスピスはみんなが知っている存在になります」(田川さん)
近隣の小学校で田川さんがこどもホスピスの話をしてからは、小学生がうみそらの見学に訪れるようになりました。
ある小学校の子どもたちは、自分たちにできることを考え、うみそらのキャラクター「うみそらっこ」をデザインしてくれました。

うみそらっこ。フエルトのマスコットも作られている
2024年には、地元の六浦中学校美術部や、小学校の先生たちと一緒に、プロの協力も得ながら、うみそらを紹介する絵本を作成。金沢区の小学生全員に配布されました。
うみそらの庭にある大きなブランコには、隣の駐車場を使う保育園児や、近所の小学生が遊びに来ます。地域の人が参加できるイベントもあります。
生命に関わる病気の子どもたちが利用する場所でありながらも、うみそらは地域から隔絶された空間ではなく、地域に開かれた場となっているのです。
地域でうみそらのことを知ってもらうことは、子どもが病気になり、孤立のただ中にいる家族にうみそらの存在を知らせることにもつながります。
「ここに来てもらえれば、そんなご家族の孤独の解消になる」と田川さんは話します。
横浜から全国へ。共感をつなげる
イギリスには50か所以上のこどもホスピスがあります。ドイツやカナダ、オランダなどでも、形は少しずつ違いますが、こどもホスピスが運営されています。
一方、日本国内のこどもホスピスは数カ所しかなく、うみそらのように病院併設ではないコミュニティ型のこどもホスピスは、大阪市の「TSURUMIこどもホスピス」とうみそら、2026年8月8日に開所した愛知県長久手市の「長久手のおうち」の3か所しかありません。
現在、北海道から沖縄まで、全国各地でこどもホスピス設立に向けた取り組みが始まっています。2024年には一般社団法人日本こどもホスピス協議会が発足し、田川さんは理事を務めています。
「全国にこどもホスピスをつくりたい人がたくさんいるので、私たちも協力したいです」と田川さんは話します。
他地域でも、自治体から無償で土地を借り受けて建設、運営する「横浜モデル」が最短で実現する方法だと考え、うみそらへ学びに訪れる人が多くいます。
2023年に設立されたこども家庭庁には「こどもホスピス専門官」が置かれ、モデル事業も始まりました。ただ、国の制度として位置付けられるには、まだ時間がかかりそうです。

ハートと黄色い小鳥は、点滴を吊るすためのスタンド
うみそらだけでなく、全国にこどもホスピスを実現するため、この先も多くの支援が必要となります。
「人と出会うきっかけをなるべく多く持たないと、さまざまな人には出会えないと思います。目的を達成するためには、共感を得られるよう、出会った人に、自分のやりたいことをしっかり伝えることを繰り返すしかないと思うのです。
私は、出会う人は自分の味方になってくれる人だと思って間違いないと信じています。 誰かに伝えて、本当に共感してくれたら、他の人に話してくれて、共感がつながっていくはずです」
こどもホスピスの建設や運営に向け、高いバイタリティをもってさまざまな人に会い、同じ話でも労を惜しまず、繰り返し丁寧に伝え続けてきた田川さん。
私は多くの社会課題やそれに取り組む団体がある中で、どこにどう支援したらいいか選べないと感じていました。
しかし田川さんのお話を聞くうち、「出会った人で共感した人を支援する」でもいいのではないかと感じるようになりました。出会うということは、相手がそれだけの時間や手間をかけて、人と出会おうと努力していたからかもしれないと、田川さんのお話から気付いたのです。
うみそらはすでに、デュッセルドルフのこどもホスピスと同じように、「金沢区の誇り」になりつつあると感じました。
さらに、横浜市民みんなにとって「私たちのまちの誇り」だと考えれば、うみそらがより近い存在に感じられるはず。
出会った人から伝えられたことを、自ら一歩深めて考えられるようになりたいです。
そして、うみそらが「まちの誇り」になりつつあるのも、やはり田川さんたちの、繰り返しをいとわない積み重ねがあるからこそです。
その積み重ねが、短い生涯を閉じた子どもたちの「生まれた意味」を、さらに輝かせているのだと感じました。
横浜こどもホスピス〜うみとそらのおうち
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あなたにできること
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