お友達大作戦!ご当地メディア訪問Vol.4 ひろたりあん通信
『ひろたりあん通信』は、青葉区全域をカバーする新聞取扱店「廣田新聞店」が発行する地域情報紙です。タブロイド判8ページの新聞は、特集記事やイベント紹介、おすすめレストランなど地域情報でびっしりと埋め尽くされています。その中でもひときわファンが多い「わが街今昔」や「地名推理ファイル」を担当する、歴史探偵高丸さんって……!?

いつもは静かな恩田駅前通りも、この日は徳恩寺を目指す方々でにぎわっていた

 

2013年5月17日、恩田の徳恩寺で開催された「街のパティシス 歴史探偵高丸の源流を往く 恩田・奈良の歴史を訪ねて」。

 

「いつもなら、テーマ音楽とともに登場するんですが、今回はお寺をお借りしているので遠慮しました」

と、高丸さんのトークが始まると、ホールを埋め尽くしたプラチナ世代の皆さんからドッと笑いがもれます。

 

青葉区・都筑区で地域密着の新聞販売業・廣田新聞店の発行する『ひろたりあん通信』の編集長として、郷土史研究家として、ハンチング帽をかぶり地域をくまなく歩いては宝を発掘するこのお方、本名は宮澤高広さんと言います。今から11年前に『ひろたりあん通信』の編集に関わるようになって以来、地域の古い写真を掲載した「わが街今昔」シリーズや、地域の歴史をひもとく特集記事が話題を呼び、今や地区センターや市民団体からの講演の依頼で引っ張りだこ。軽妙な語り口と地域に対する深い愛情がにじみ出るお人柄にファンがつき、高丸さんの登場シーンはいつも拍手喝采なのだとか。

 

宮澤さん(左)と、徳恩寺の鹿野住職

 

この日、高丸さんはナビゲーター役。まず、徳恩寺の住職鹿野融完さんが、恩田の歴史について語りました。田奈から恩田にかけては、明治初期は人口1124人・192戸の寒村で、村の外れに電気が通ったのは昭和37年になってからとのこと。お寺の開山のいきさつや、徳恩寺の末寺であった万年寺(現在は廃寺)がマンガ『日本昔話』の舞台になったこと(桂台に万年寺谷戸が残っています)。「堀之内」交差点付近に恩田城があったことなど、鹿野ご住職の話に驚くことばかり。

 

続いて、奈良町連合自治会会長の関根宏一さんが、奈良町のシンボルとも言える「こどもの国」にまつわる歴史を紹介しました。現天皇陛下・皇后陛下のご成婚記念でつくられたこどもの国は、戦時中は「東京陸軍兵器補給廠田奈部隊」がおかれた、日本有数の弾薬庫でした。「緑豊かな環境の中で家族の絆を深めてほしいという両陛下の深い思いで、美しい里山環境と子どもや家族がのびのびと自然のなかで遊べる素晴らしい施設として生まれ変わりました」と、関根さん。戦時中の遺構とともに、奈良町に残る義経伝説など、バラエティに富む恩田・奈良の歴史について話をうかがった後では、地域への愛着がますます増していくから不思議です。

 

徳恩寺の本堂では、数々の寺仏にまみえる機会をいただいた。ご住職が手にしているのは、江戸時代に恩田を治めていた柳沢信尹公(徳川綱吉公の側用人として知られる柳沢吉保公の親族)に寄進された大般若経

 

本堂で数々の寺仏や寺宝を拝見して、寺に代々伝わるみそ田楽をいただいた後は、高丸さんの案内で町歩きです。徳恩寺の参道を下り、こどもの国線沿いを流れる奈良川を皆で歩きます。

 

「奈良川にはゴイサギやカワセミがいるんですよ」

と高丸さんが一言。参加者の皆さんはカメラを構えたり、メモをとったり。真剣です。

 

奈良橋から斜めにのびた新しいアスファルトの下に、かつて弾薬を運ぶための架線を発見しながら、一堂はこどもの国駅近くの松岳院へ。ここには江戸時代の旗本・石丸家3代の墓所があり、皆でお参りしました。

 

徳恩寺には広島から伝わった原爆の残り火がある。「恩田と奈良は、平和を願ってやまない土地」と高丸さん

 

「奈良町周辺には、奈良の都を思わせる地名が多い。三輪や岡上、原当麻……。多摩丘陵南部の小高い丘が連なるこの風景は、奈良の都の風景に似ていたのではないでしょうか」(高丸さん)

 

街歩きの最後は、住吉神社へ。明治維新の神社合祀・廃仏毀釈で社叢林を伐採されずに残った、この近辺では珍しい「鎮守の森」。市指定の天然記念物で、森の神様を大切に敬っていた往時の姿を残しています。高丸さんは、「山そのものがご神体である三輪山の文化が、きっとここにもあったのでしょうね」と推理します。

 

川沿いを歩いて散策。歴史探偵になった気分で楽しんだ

 

 

昔の写真、地名、地域の文化の中心であったお寺や神社、そして川。高丸さんの取材フィールドは多岐にわたります。

 

「源流って、何かが生まれる場所なんです。その土地にある何か、それが歴史。そこを突きとめることで、新しい何かがまた生まれます」

 

青葉区という小さな街をとっても、例えば大山街道の宿場町であった旧荏田村、二代将軍御台所であった江姫の化粧料だった旧石川村、旗本領だった田奈村では、風習や気質も異なり、いま住んでいる方にも不思議と通じるものがあるのだそう。

 

青葉区は若い街だという印象ですが、高丸さんに地域の歴史をひもといてもらうと、江戸時代どころか、古墳時代、石器時代までさかのぼる様々なエピソードが眠っていて、それがいまなおイキイキとした姿で私たちの暮らしの底流をなしているのがわかります。

 

「歴史を知るのは、今をよりよく生きるためなんです。この街に住む子どもたちにとっては、ここがふるさと。地域を愛するシンボルとして、歴史的なエピソードをこれからも発掘して、伝えていきたい」という高丸さんの目は、未来を見据えています。

 

歴史探偵高丸さんの講座は、今後も街のパティシスや、地区センターなどで開催されます。また、毎月1回新聞に折り込まれる『ひろたりあん通信』では、地元の歴史を詳しく連載していますので、お楽しみに!

Information

『ひろたりあん電子通信』はこちら

http://www.hirotarian.ne.jp

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この記事を書いた人
北原まどか理事長/ローカルメディアデザイン事業部マネージャー/ライター
幼少期より取材や人をつなげるのが好きという根っからの編集者。ローカルニュース記者、環境ライターを経て2009年11月に森ノオトを創刊、3.11を機に持続可能なエネルギー社会をつくることに目覚め、エコで社会を変えるために2013年、NPO法人森ノオトを設立、理事長に。山形出身、2女の母。
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