今年の10月に森ノオトが出版した『たまプラーザの100人』。この本を制作するにあたり3回のワークショップ、取材、編集、校正、デザイン等の行程を経て、印刷資金を調達するためにクラウドファンディングをおこないました。
クラウドファンディングの支援の仕方は、寄付型、購入型、金融型と、主に3つに分かれます。私たちが取り組んだのは「購入型」。出資者へのリターンとして、支援金額に応じた金銭以外の商品やサービスを提供するのですが、例えば2,000シードの支援者には完成した本をプレゼント、10,000シードの支援者には洋菓子の名店「ベルグの4月」のオリジナルスイーツギフトセット、または出版記念パーティーへのご招待、そして30,000シードをご支援くださった方へのプレゼントとして、「たまプラびとを知る!体験する!コース」を設けました。このプライベートツアーは10/26(土)に開催。たまプラーザの今昔を知り、本の登場人物たちと一緒にまち歩き、ランチ会と盛りだくさんの内容になりました。
10/26、澄み渡った青空が気持ちよい日。レクチャーの会場である3丁目カフェに『私鉄沿線97分署』の主題歌が響き渡りました。『ひろたりあん通信』(青葉区全域をカバーする新聞取扱店「廣田新聞店」が発行する地域情報紙)の編集長であり、地域の古い写真を掲載した「わが街今昔」シリーズや「地名推理ファイル」の連載が好評の歴史探偵高丸さんこと宮澤高広さんが登場。「たまプラ今昔」のレクチャーがスタートです。
たまプラーザがある「青葉区」って、そもそもどんなところなのでしょうか。宮澤さんの話は青葉区が「都筑郡」だったころにさかのぼります。青葉区は田奈村・中里村・山内村という3つの村で構成されており、たまプラーザは山内村の早渕川流域に広がる集落でした。
「国鉄(JR横浜線)や国道246号線の開通により周辺地域が利便性を高めるなか、たまプラーザはある意味では陸の孤島とも言える場所でした。東急田園都市線溝の口〜長津田間が開通した昭和41年4月1日は、雨模様の中、山内中学校の生徒さんたちがたまプラーザ駅で傘をさしながら日の丸をふっていた。そえが現在の発展につながっている」と、エピソードを交えながら郷土史的なアプローチで解説してくださいました。
また、今では高級住宅街の代名詞的存在とも言える美しが丘3丁目付近で田植えがおこなわれていたシーンなど、昭和30年代〜50年代の写真を交えながら、草創期のたまプラーザと現在の風景に思いを馳せその変化を学びました。たまプラーザがロケ地として登場した『ウルトラマン』シリーズや『金曜日の妻たちへ』などがその後のたまプラーザに与えた影響を、コミカルな語り口でお話くださいました。
次に登場したのは青葉区のIT隊長こと千葉恭弘さん。何と千葉さんはAR(拡張現実)技術を用いて、タブレットやスマートフォンをかざすと過去の町並みを再現できる街歩きアプリを開発したのです。講座では「Junaio」というアプリを手持ちのスマートフォンやタブレットにインストールして、千葉さんにその使い方を学び、その後まちに繰り出します。歩きながらスマートフォンをかざすと、自分が今立っているところの昔の風景と現在の風景の写真が映し出されます。クリックすると、宮澤さんが書いた「街の今昔」の文章が読めてしまう! 街角でスマホをかざしながら風景をにらめっこしている私たちは、傍から見ているとかなり不思議な集団! ですが参加者は真剣そのもの。まちの情報の昔と今を見比べながら、ひと味変わったまち歩きとなりました。
最後はたまプラーザの名店「子ぐま」でのランチ。この日のためのおまかせコースとあって、チーズ焼きから鉄板焼き、お好み焼きから焼きそばまで、参加者全員大満足! レクチャーからまち歩きまでを共に過ごした皆さんとスタッフ全員が今さらながら……と自己紹介したり、たまプラーザに対する思いやツアーの感想などを和気あいあいと語り合う場となりました。
お土産には「デフェール」の焼き菓子をプレゼントして、解散。たまプラーザに住んでいる人も初めて来た方も、いつもと違う見方で「たまプラーザ」を満喫できる機会となりました。
『たまプラーザの100人』を出版したことがゴールではなく、この本を通して多様なアプローチでたまプラーザを訪ねる楽しみ、住まう喜びを感じていただきたい。そんな思いを新たにし、100人からつながる新しいまちづくりへの展望を感じた1日となりました。
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