新治市民の森がある横浜市緑区新治町は、横浜市の原風景の一つと言ってもいいだろう、里山に囲まれた農村地域です。にいはる里山交流センターから歩いて5分ほどのところに、幸陽園農耕班の畑があります。約4反の田畑には、大豆、里芋、オクラ、ゴーヤ、ネギ、サツマイモなどが植え付けられており、晴れた日の平日午前中は、保土ケ谷区の幸陽園から車に乗って、4~6人のメンバーが農作業に勤しみます。
農耕班の指導者として、彼らと一緒に汗を流すのは石田周一さん。社会福祉法人グリーンの設立に関わり、プライベートでも「な~に谷っ戸ん田」の活動や、NPO法人よこはま里山研究所(通称:NORA)の理事、現在は田園都市生活シェアハウスのオーナーとして、「農」と「福祉」のフィールドを縦横無尽に耕しているパイオニアです。
私は今年、「農福連携」をテーマに取材活動をするなかで、石田さんには折々に相談をして、アドバイスをいただいていました。
「農福連携」という言葉が使われ始めたのは、今から約10年前の2010年ごろのことです。2014年に厚生労働省と農林水産省が、活力ある農山漁村対策として「『農』と『福祉』の連携プロジェクト」をスタートしたことで、本格的に「農福連携」が謳われるようになりました。農業・農村の課題として、毎年、新規就農者数の2倍の農業従事者が減少し、荒廃農地が増えていること、障害者福祉の課題としては、全国の障害者総数963.5万人(2019年12月、厚労省)のうち就労している人は1割未満の約94万人であり就労先の確保が必要であること、また工賃の引き上げが必要であることが挙げられています。「労働力を確保したい農業側」と「新たな就労の場を確保したい福祉側」のニーズが合致しているのが「農福連携」とされています。
2019年には政府に農福連携等推進会議が設置され、「農福連携等推進ビジョン」が発表されました。農福連携という取り組み自体が「知られていない」、どうやって始めてよいかわからず「踏み出しにくい」、地域経済や消費者を巻き込みにくく「広がっていかない」といった3つの主要な課題について、いかにきめ細やかに対応し、多様な主体で取り組んでいくことが重要であるかが示されました。
横浜では、横浜市が発行する地産地消の情報誌『はまふぅどナビ』で2010年に社会福祉法人グリーンの取り組みを紹介しています。当時、施設長としてインタビューを受けた石田さんは、次のように話していました。
「社会に貢献する場があることは、人間が生きていく上でとても大切なことなのだと思います」(『はまふぅどナビ』19号、2010年12月発行)
それから10年。横浜では、泉区の社会福祉法人開く会の運営するベーカリー&レストラン「ファール ニエンテ」がその味や居心地のよさで人気店になり、はまふぅどコンシェルジュの澤井香予さんが横浜市内の福祉事業所や障害者雇用に積極的な企業と手を携え干し野菜の商品開発を進めるなど、農福連携の裾野は確実に広がっています。農家側では、青葉区の金子栄治さんがUniversal Agriculture Support合同会社を立ち上げ、AIによる自動灌水システムと農福連携に取り組んでいます。福祉の現場が農業に取り組む動きから、農家側が生産性を高めながら障害者とともに働くことを始めていこう、という流れが生まれつつあります。
そんなふうに時代や現場が移るなかで、石田さんが幸陽園農耕班のメンバーと汗を流す新治町の畑は、とてものんびりと牧歌的な空気に包まれていました。私が取材に訪れた日は、青空自主保育「森っ子」と「風の子」の親子が一緒になって、畑で利用者さんとたわむれながら、土にふれていました。
朗らかでよくしゃべる青年が先頭切って「畑のシャワーを浴びに行こう!」と言うと、森っ子の子どもたちが列をなしてお兄さんについていきます。石田さんがポツリと「畝は踏まないでね」と注意し子どもたちはその教えをきちんと聞いて、青年も目を配ります。「僕、小さい子の面倒を見るのが好きなんです」と、目を輝かせて話す青年。子どもたちも満面の笑みでお兄さんの足元で笑い転げています。
「支援する人、される人という、一方通行の関係だったら、支援とは言えません。(福祉は)お互いの関係性があって成り立つものですよね」と、石田さんは言います。
風の子の保護者・北村真美奈さんは、「自分たちの住んでいる場所の近くの畑で、掘りたての野菜を食べられる幸せ。幸陽園のみなさんと一緒に収穫できる幸せ。彼らは障害があるかもしれませんが、子どもたちとの間で、お互いに先入観を持たずに、一人の人間として接することができています。一緒に育ち合っているというか、信頼関係を育むことができる環境があることが、本当に幸せです」と語ります。
この日、私が取材で訪れた2時間のなかで、利用者さんたちはイモのツル返し、オクラとネギの収穫を、のんびりペースで行っていました。4人の利用者さんは、知的障害や精神障害など、それぞれの障害特性が異なり、日によってアップダウンがあるので、石田さんは一人ひとりの特性を見極めて、作業の指示や、声がけをするそうです。この日いたメンバーも、言葉の指示だけで動ける人、子どもが来ると遊びに夢中になってしまう人、虫や草花と話し続けている人など、働き方の個性はさまざまでした。生産性を高めるために作業をわけて流れ作業をするのではなく、それぞれのペースで自由に動きながら、少しでも収穫物などの成果を共有するようなやり方で進めていました。
そんな石田さんが、これからの農福連携に必要だと考えているのは、“つなぐ人”の存在です。
「福祉施設が農業をやりたい!と思った時に、農業技術を伝えてくれる人がいるかどうか。障害特性がそれぞれの利用者に対して、一律に同じ作業を要求するのは難しいので、生産過程の分解が必要になります。一方で、農業者が障害者と一緒に作業をする時のコーチも必要です。農家さんの高い技術をそのまま伝授するのは難しく、働く人の目線まで降りていけるかが問われます」
例えば、幸陽園農耕班は、午前中は農作業をやり、午後は駐車場の草刈りや、クリーニングの仕事をするといった「兼業農家」なので、植える作物は、ネギ、イモ、マメ、カボチャ、キャベツなど、「人間の都合でつくれる作物」にしているとのこと。トマトやナスなど、手入れに手間がかかり、収穫時期にはひっきりなしに畑に張り付かなければならないような野菜は植えないそうです。また、農薬を使わずに野菜を栽培しているのは、安心・安全の観点はもちろんですが、利用者さんの障害の度合いによって薬剤の管理が難しく、「(農薬を)使ったことがない/使えない農業」だと石田さんはいいます。
「農作業をしていると、いろんな可能性が開けてくるので、つい、いろんな作物をつくりたくなるのですが、あえて単純化するのも一つの方法です。耕作放棄地で、年に一度だけ、イモをつくるとかね。農業として生産性を追求していくのか、それとも生産性とは異なる“農”を楽しんでいくのか、同じ農福連携でも、スタンスの違いでやり方は変わってきますよね」(石田さん)
農家の高齢化や廃業など、農地を耕作する担い手不足によって遊休農地や荒廃地が増えていることは、全国的な課題になっています。横浜では遊休農地の増加ペースは全国に比すとそれほど大きくはないですが、それでも平成17年から27年の10年間で、で市内の遊休農地は1割ほど増えていることがわかります。横浜市が行った「横浜の緑に関する土地所有者意識調査(平成29年)」のうち、農地所有者へアンケートでも、高齢化や後継者不足、労働力不足の問題は、25~45%が課題感があると回答し、それぞれ大きな課題感を持って語られていました。
横浜の農業は、生産地と消費地が近く、まちの中に緑があることが特徴です。これまで森ノオトでは、若手生産者や女性農業者、有機農業から加工品開発、食育まで、たくさんの生産者を取材してきましたが、農福連携でも魅力的な取り組みが多くあることを知り、まさに「都市農業」の聖地とも言える可能性を秘めていると思います。
様々な可能性が、アメーバ状に食指を伸ばしている状態で、あとはうまく接点を設けられれば、農福連携から都市農業の可能性は無限大に広がっていくのではないかーー。
農業は、畑や田んぼを耕して作物を生産するだけでなく、農地として、つまり緑として存在するだけで、大きな意味があります。横浜の緑を守っていくことは、水源を守ること、生物多様性を保全すること、地球温暖化の対策にもなり、何より景観を保全することにつながります。「生産と消費がごちゃ混ぜになってもいいんじゃない」。石田さんの言葉と、子どもたちと混ざりながら畑に出ている幸陽園農耕班のメンバーの姿に、これからの時代に必要な「多様性」、「包括性」が示されていると感じました。
厚生労働省社会・援護局が2019年12月に発表した統計によると、障害者の総数は963.5万人(身体障害者436.0万人、知的障害者108.2万人、精神障害者419.3万人)で、日本の総人口の7.6%に何らかの障害があるとされています。これに含まれない学習障害等の増加傾向を考えると、障害者は社会から区別された「特別なもの」ではなく、一緒に学び、一緒に働き、ともに生きる存在として、垣根をつくらずに在ることが私たち自身に求められます。
障害の有無にかかわらず、人と人が、混ざる、交わる機会が増えていくこと。それが当たり前になっていったら、横浜の農業と緑の未来は、もっともっと明るくなっていくのではないか。私は、農福連携のこれからの10年も追い続けていきたいと思います。
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