青葉区元石川町で「小岩井牛乳横浜ミルクセンター」を営む北嶋克悦さんは、石川県出身で「いしかわ観光特使」の顔も兼ね備えています。起床時間を尋ねると朝12時半との答えが返ってきました。それって朝?との疑問を抱きつつ、お話を伺うことに。牛乳屋さんの朝はこんなに早いのです。
北嶋さんのお店は、いわゆる販売店。小岩井乳業の工場から毎日牛乳やヨーグルトといった製品が届き、仕分けして、個人宅や卸先のコンビニ、スーパー、酒屋、パン屋さん、それ以外にも老人ホームや病院に保育園、スーパー銭湯などに届けます。毎日、または毎週の決まったルートで配達をするのです。
それ以外に地域のイベントがあれば牛乳屋さんとして出店し、現場で子どもと遊んだりと、楽しみながら地域とのパイプを太くしています。また、防犯パトロールにも参加し、北嶋さんは休む暇なく毎日地域を走り回っています。
北嶋さんは石川県羽咋市出身で、4人兄妹の3番目に生まれ、大学進学のため18歳で上京しました。当時、新聞屋さんに住み込みで4年間新聞配達をしていたそうです。一度は建築の仕事に就くも、ご縁で世田谷区中町の牛乳屋さんに就職。その後1989年12月に青葉区元石川町で横浜ミルクセンターを立ちあげることになったそうです。
当初は、誰も知らないところでゼロからのスタートです。地域の人たちに信用してもらうため、また、北嶋さん自身が大事にしている「防災」と「防犯」のため、地元消防団に入団します。それ以来、25年以上も地域のパトロールなどを続けています。子育てにも積極的に関わり、お子さんの小学校のP T Aの副会長を務めたり、おやじの会も立ち上げています。
取材の中で印象に残った言葉がありました。
「自分は歯車だけど、なくてはならない歯車でありたい。自分の牛乳屋と牛乳流通業界全体が地域での存在価値を高め、社会や地域に有益で不可欠、意義のある存在でいること。頼りにされて当たり前、あてにされて当たり前。昭和40年代以前の世界かもしれないけど、八百屋さんや魚屋さんが並んでいた、ごく当たり前に風景に溶け込んだ牛乳屋さんでいたいんだ」と話します。
経済産業省の商業統計によると、牛乳小売業者数は、1985年は15,003軒あったのが、2002年には10,326軒、さらに2014年には5,559件と激減しています。
北嶋さんによると、現在、青葉区の販売店は20数軒とのことです。
昔よりは宅配先が少なくなったとはいえ、宅配は牛乳屋さんの商売の柱。北嶋さんは今も200軒以上の個人宅に配達しています。以前の職場でもある世田谷区には、以前働いていた世田谷ミルクセンターの紹介で40年以上宅配も続けているお家もあるそうです。牛乳のおいしさはもちろんだと思いますが、北嶋さんのお人柄もあるのでしょうね。
宅配を通じて、地域の人と仲良くなり、つながりができてきます。青葉区のある高齢者施設では、地域コミュニュケーションの一環として、2015年から毎週曜日と時間を決めた出張移動販売という形式で、保冷ボックスを利用して奥様と商品販売をしていたそう。今は「コロナで行けなくなった」と寂しそうです。
「地域とつながると地域のいろいろなことが見えてくる」と北嶋さんはおっしゃいます。
石川県の農家に生まれ育った北嶋さんは、「田舎のコミュティでの付き合いをたまプラーザで活かせるんじゃないか」と思ったそうです。なぜなら青葉区には“受け入れ”の文化があるから、と。
北嶋さんの牛乳屋さんとしてのルーツは、幼少期にさかのぼります。「実家では少年時代、牛を10頭くらい飼っていました。仔牛を産んだ後の雌牛の牛乳は、人間は飲めないので搾乳したお乳で牛乳風呂に入っていました。セイロもありました。子どもの頃は搾乳した牛乳を温めて飲んでいて、これがまた、うまいんだよ!今宅配している『特選牛乳』はそれに似た味だよ」(北嶋さん)
北嶋少年には自分が世話をする牛がいました。お兄さんと一頭ずつ世話をしていて、世話をするにもきちんとした決まりがありました。
「危ないので、(牛の)後ろに絶対立たないこと。お世話をする時は、剣山みたいな金物でお尻をなでると、牛は気持ちよさそうにするんだよ。雌牛はいいけど雄牛は肉用に買われていく。知ってます?牛ってわかるんですよ。大きい目に涙浮かべて、見ていられないんだよ……」(北嶋さん)
北嶋さんの幼少期の話から、話題は今を生きる地域の子どもたちのことに及びます。「今の時代、乱れている子もいるけど、根っこは良い子だから、そういう子どもたちをこの地域で見守っていきたい。そうなっているのは、彼らのせいでなく大人のせいだから。子どもたちが何を思って何に悩んでいるのか?とか、どうやってそれを解決していくか?その手助けを大人がしていくことが必要で、それをここ青葉区でやっていきたい。自然の中で遊んだり、土に触れること、運動やお祭りなど、若い頃に体験したことは記憶に残るから。匂いや音に敏感になることが大事なんだ。昔と形が変わってもいろんな経験をさせてあげたい」と、子どもたちの思いはあふれ出てきます。
コロナによって何か変わったことはありましたか? という私の問いに、北嶋さんは次のように答えてくださいました。
「宅配のお客様は減ることはなかったですし、食品衛生的にはそもそも厳しい基準があり、牛乳を扱う以上、感染症対策にはもともと力を入れていましたから、そういう意味では信頼を失うことはありませんでした」(北嶋さん)
それでも、4月から6月には納品をする店舗がお休みだったことなどから売上は6割以下に落ち込んだそう。売り上げもさることながら、地域と現場を大事にすることを信条としている北嶋さんとしては、イベントができないことが大きかったとおっしゃいます。
「何がって、イベントに来る子どもたちがいろいろな話をしてくることが面白いんだよ。僕もそうだったけど、自分の親父とは仲良くなりたくない、反発する。だけど“よそ”の親父にはなんでも言える。今ってその受け皿がないでしょ。お祭りとかもなくなって他の親と接触する機会がなくなって、子どもに成長に必要なイベントがない今、人間関係を築く機会が少なくなってきた」と話します。
「そんな子どもたちが今、いろんな問題をどうやって解決するのかが心配になる」
と北嶋さん。
「自分の子どもの頃のコミュニュティをここたまプラーザで体現できるんじゃないかな?って思う。精神性を大事にしていきたいから、僕はお祭りやイベントが大好きなんだと思うんだ。昔の自分が体験していたことが、少しずつ形は変わっているけど、ちゃんとこの地域にはあるんだよね。コロナで今はイベントができないけど、小さいものは少しずつ始まってるから」
「僕はいしかわ観光特使も務めているくらい、実家の石川県が大好きなんだ。今はここ(青葉区)にいるけど、2年前法事で墓参りをした時親戚・家族の前で公言したんだ。“死んだらこの墓に入る”と。最後の行き先を決めたら安心して、こっちで頑張れる。
今回のコロナで、これだけ業界や商店とか疲弊してるじゃないですか?でも逆にいろんな準備ができたし開き直った。本気で商売や地域のことも、家族のことも考えられる。2020年の2月から、場面がガラッと変わってる。これからどうやって生きていくのかワクワクする」
と、北嶋さんはとてもポジティブです。今回の変化をふまえ、今後の店づくりに対する思いや出番という言葉の意味を聞いてみました。
「これからコロナ明け、今までの地べたを這いつくばって頑張ってきたからこそ、お祭りやイベントを通じて子どもたちと地域をつないだり、牛乳配達をしながら地域のパトロールを続けてきた。自分の出番だと思うんだ。時代の節目は地域や現場を大事にすることが何より大事だと思う」
北嶋さんを取材させていただいて、イベントご一緒したとき見かける楽しそうな笑顔を何度も思い出しました。
何をするときも真剣で楽しそうで、子どもと同じ目線で自分も楽しむ。サッカーの応援も、欠かさず参加してフィールズのメンバーを応援する。見知った顔に街で会うと必ず声をかける。そんな場面をよく見かけます。
「北嶋さん」という牛乳屋さんは、地域にパワフルで温かいあかりをともし続けていると、私は改めて感じました。そして牛乳屋さんとしての原点の味、幼い北嶋少年が飲んでいた味に似ているという「特選牛乳」を飲んでみたくなりました。
小岩井牛乳横浜ミルクセンター
〒225-0004 横浜市元石川町5421-30
電話: 045-902-7828
フリーダイヤル:0120-117-369
FAX:045-902-7970
生活マガジン
「森ノオト」
月額500円の寄付で、
あなたのローカルライフが豊かになる
森のなかま募集中!