まちのあの人、若い頃〜たまプラーザをつなぐ顔・大野承さん〜
青葉台、たまプラーザ、あざみ野……森ノオトが拠点をおく横浜市青葉区は、東急田園都市線の発展とともにたくさんの人が移り住み、地域住民の方が力を合わせてまちをつくってきたエリアです。この連載では、私たちのまちの礎をつくってきたシニア世代の方に「若い頃のお話」を伺いながら、その横顔とこれまでの軌跡を追います。第一回は、たまプラーザのコミュニティスペース・3丁目カフェの初代オーナー・大野承さんにお話を伺いました。

夏の気配が漂い始めた6月のある日。

強い日差しにうっすらと汗をかきながら、私はたまプラーザ駅前から美しが丘公園に向かうユリノキ通りを歩き、取材の約束をしたPEOPLEWISE CAFEを目指していました。

 

天井が高く開放的なたまプラーザ駅、改札をぐるりと囲む商業施設・たまプラーザテラス、駅から一歩出れば春は桜が美しい駅前通りがあり、広い歩道に面してこだわりのお店がそこここで開かれている……。たまプラには、たまプラならではの洗練された雰囲気がある。そう感じるのは、私だけではないはずです。

都会的な施設のすぐそばに、緑豊かな公園が点在しているのもたまプラの魅力だと感じます

この日私がお話を伺ったのは大野承さん。

コミュニティスペース「3丁目カフェ」の初代オーナーで、たまプラーザの地域住民がつながる仕組みづくりや場づくりに長年尽力されてきた方です。

大野承さん。温かい笑顔が印象的です

3丁目カフェは、たまプラーザ駅から県道13号線方面への坂をのぼった場所にあるコミュニティスペースです。駅から徒歩5分とまさに一等地。カフェ利用や本格的なステージや音響設備を使っての音楽ライブのほか、シニア向けの体操会や編み物カフェなど、さまざまなイベントが日々開かれています。

おしゃれなロゴが目を引く3丁目カフェ。たまプラーザに住む森ノオトライターいわく「ママ友の集まりでよく使っています。たまプラの人なら大野さんを知っている方は多いはず」

 

2025年末に開かれた「望年会@3丁目カフェ」では、森ノオトライター有志で結成したバンドも出演!ミラーボールにスモークに、本格的な演出も多く大盛り上がりだったそう

大野さんが3丁目カフェを開いたのは2014年のこと。「住民同士が寄り合える場所を」という思いで始めたと話します。

しかしそんな大野さんの現役時代はいわゆる「会社人間」だったそう!大野さんはどのような歩みを経て地域のコミュニティへと足を踏み入れたのでしょうか?

 

 

“サラリーマン七難”をすべて経験。昭和を生きた会社員生活

1947年に東京都目黒区で生まれた大野さん。都内で何度かの転居を経て、大学へ進学します。

 

「大学は囲碁学部麻雀学科、卒論はハイライト論でした」と冗談混じりに大野さんは話します。「当時電車内で見かけた方のスマートな様子に憧れて」と就職先もその方と同じ大手化粧品メーカーへと決断したと言いますから、何とも大胆で自由です。

 

「企業は上下左右斜めの関係で成り立っていて、そんな密な関係性のある環境が私には居心地がいいものでした。あの頃は企業が日本を牽引している実感があったし、社会もそういう認識を強く持っていました」

 

大野さんが社会に出た1970年――日本は高度経済成長期で、国全体が右肩上がりの勢いがあった時代です。

 

「社員は家族のような存在でした。企業は社員を大切にする風潮がありましたし、『会社主義』といったように、私も会社に強い帰属意識を持っていました。平日は日が変わってから帰ることも珍しくなかったんですよ」

 

大野さんは、都内の支店でルート営業の業務からキャリアをスタートさせ、奈良県、栃木県、神奈川県……と全国各地を渡り歩いたそうです。

「地方最高」と話す大野さんの、宇都宮勤務時代のお写真。真ん中が大野さんです

平成生まれの私が、バブル絶頂期の「24時間働けますか?」の時代に想像をめぐらせていると、「『サラリーマン七難』をすべて経験したんですよ」と大野さんが助け舟を出してくれます。

サラリーマン七難?と私がスマートフォンで検索しようとすると、「私が考えた言葉!」と笑う大野さん。

 

七難とは「左遷、金銭事故、職場放棄、成人病、役職定年、肩叩き、心身病」とおっしゃいます。何やら穏やかではない雰囲気……ですが、清濁併せ呑むこの七難のラインナップは、大野さんの現役時代の空気感が伝わってくるようです。

 

全国を転々としていた大野さんが、ご実家の転居をきっかけにたまプラーザに越してきたのも、この会社員時代でした。今から30年ほど前、大野さんが40代後半の頃です。

「まちの原型はその頃すでにありましたが、どんどんたまプラはきれいになっていきましたね」。

 

 

地域住民とつながり、つなげる活動へ

会社員生活に58歳で区切りをつけた大野さんが次に志したのは、「趣味に生きる人生」。囲碁学部をご卒業した(?)大野さんは、囲碁のほかにも旅行、マウンテンバイク、家庭菜園、俳句などたくさんの趣味をお持ちでした。

しかし「さあ、これからは趣味に打ち込もう」という生活が始まった一年後、自治会長に抜擢されたのです。自治会活動のなかで、地域活動をする先輩方と出会います。

写真は夏の盆踊り大会に向けてごみ捨て場を設置している様子

そしてもう一つ、大野さんにとって転機となったきっかけがありました。近所にお住まいの方の結婚パーティーに参加した時の話です。

 

「新婦である近所の娘さんのお顔を、式の場に来るまで知らなかったことに気づきました。会社で働いていた頃は、平日は日をまたぐ時間に帰り、土日はどこかへ出かける生活でした。なので、地域のことをほとんど知らなかったんです。これではいけないと思いました」

 

この危機感を放っておけないと大野さんは行動を起こします。

まず大野さんは、近所数世帯の小さい単位で連絡を取ったり助け合ったりする「隣組」を提案。また、自治会町内会が小さな公園や空き地など任意に設定し、横浜市の各地域にある「いっとき避難場所」を活用した「いっとき避難訓練」を開催。避難訓練をきっかけにした、地域住民が顔を合わせ寄り合える場づくりにも着手しました。

 

大野さんが地域住民の方とつながり、そして地域住民の方同士をつなげる仕組みを丁寧に作り上げていきました。

取り組みはオンラインでも。たまプラーザのイベントやトピックをまとめた超ローカル情報を発信するサイトも手作り。更新もご自身で行いました

3丁目カフェの誕生!いくつもの壁を越え、たくさんの人が集まる場所へ

そんな活動を10年ほど続けていた中で始まったのが、横浜市と東急電鉄が打ち出した「次世代郊外まちづくり」です。

 

「次世代郊外まちづくり」は、高齢化や建物の老朽化、若者の郊外離れなどを迎え始めた大都市近郊の郊外住宅地のこれからを、公民共同で考えていこうと2012年に始まった取り組みです。

住民から地域活性のアイデアを募り、助成金を支給する「住民創発プロジェクト」において生まれたのが、たまプラーザの3丁目カフェでした。

 

冒頭でご紹介したように、地域住民の集いの場である3丁目カフェですが、実はその誕生と発展の裏にはいくつもの壁があったと大野さん。

 

「当初は公共の空きスペースを利用して、固定費がほとんどかからない運営を計画していたのですが、さまざまな理由や規制で実現が困難ということがわかってきたんです。

せっかく動き出した計画を無駄にはしたくないし、引くにも引けない。そこで現在のたまプラーザの店舗を借りて始めることにしました。しかし当初の計画から一転、毎月家賃のかかる商業店舗でのスタートです。

 

そこからは家賃や人件費の捻出、営業形態の模索……2014年の開店から身を粉にする思いでした。レストランとして3丁目カフェはスタートしましたが、素人が集まって経営を始めてもそう簡単にはいきません。長時間店にいることが当たり前で、疲弊していきました」

 

大野さんたちにとって新しい分野への挑戦であるがゆえ、開店から数年は経営上の困難に幾度も見舞われたそうです。

 

しかし粘り強く試行錯誤を繰り返し、現在のレンタルスペースに主軸を移してから、「文化の発信拠点」としての立ち位置を固めていきます。

音楽ライブ、卒園パーティー、同窓会、講演会、ワークショップ、新年会、漫才ライブ、料理教室……年間350ものイベントが開かれ、15,000人が集う場へと成長していきました。2019年には経営が黒字に変わり、お店のにぎわいに比例して店舗運営も軌道に乗っていきます。

 

そんな3丁目カフェに、第二の壁が立ちはだかります。2020年に始まったコロナ禍です。対面での接触や店舗営業が制限され、多くの店が大打撃を受ける中、3丁目カフェも例外ではありませんでした。

 

「3丁目カフェは休業せざるを得ませんでした。しかし店を開けなくても家賃はかかります。3丁目カフェは2オーナー制で、これまでもカフェの維持のためにそれぞれが私財をはたくこともありましたが、営業できないとなるといよいよその状況も深刻でした。

そこで、3丁目カフェ存続のためのクラウドファンディングをすることに決めたんです」

 

2020年4月にクラウドファンディングを開始したところ、みるみるたくさんの支援が集まり、なんと目標の200万円を大きく超えた約518万円が寄せられたのです!3丁目カフェがつくりあげてきたつながりが目に見える形となって結実した瞬間でした。

 

 

大野さんのこれから。元気の秘訣は?

3丁目カフェは2025年にオーナーを、共同出資者でもあった名島正彦さんに交代しました。たまプラーザのコミュニティスペースのバトンは着実に次の世代へと渡っていっています。

 

「3丁目カフェの経営はまだ決して安定したわけではないですから、バトンを渡したといっても複雑な気持ちもあります」

 

そう大野さんは話します。経営が苦しくても、大野さんはなぜ3丁目カフェを続けたのでしょうか。

 

「何度も辞めようかと思いました。でも、惰性なのかな(笑)。続けているものを辞めるのも難しくてね」

 

大野さんはそう言いながら、取材中ずっと手元にあったパソコンで、この写真を見せてくださいました。

顔、顔、顔!地域のキーパーソンの顔がズラリ!

取材にあたり、大野さんはこれまでの歩みをスライドにしてくださっていました。3丁目カフェ運営のスライドの最後に、この写真が待っていました。市民活動や3丁目カフェで生まれたつながりです。

 

「3丁目カフェを引退したこれからは、社会福祉協議会や自治会、老人会などの市民活動や、合唱や囲碁・俳句などの自分の趣味に戻っていこうと思います。『横浜あおば脱炭素しみんの会』の会長をやっているから、それにも力を入れなきゃね」

 

隣に住む方の顔を知らない……そこに危機感を持ち、地域へと入っていった大野さん。今年79歳を迎えられた大野さんに元気の秘訣を聞くと、「交流は栄養」と茶目っ気たっぷりの笑顔で教えてくださいました。

 

まちづくりはきれいごとだけでは語れない。

私は大野さんの話からそう感じました。しかしたくさんの人に囲まれている大野さんの「今」を聞き、人とつながることを選んだ大野さんへの尊敬がより深まる時間となりました。

 

これからはご自身の趣味を極めるであろう大野さん。これまでまちづくりを牽引してきた方の生き生きとした姿は、これからも変わらずたまプラのまちを元気づけていくでしょう。

 

さて、この連載はお話を伺った方の縁をたどる数珠つながり取材です。

次回は大野さんとゆかりのある「あの方」にお話を伺います。

どうぞお楽しみに!

Information

3丁目カフェ

https://www.3choome-cafe.com/

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この記事を書いた人
佐藤沙織スタッフ/ライター
横浜市泉区生まれ、西区在住。そこに住む人の等身大の言葉でつくられた森ノオトの記事に魅せられてライターへ。身近な人の気持ちや様子をそっと書き残していけたら。読書と犬が好き。趣味のゴルフは毎回大乱闘。
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