私が山田麻子さんと初めて出会ったのは、2013年のことです。東日本大震災以降、青葉区でエネルギーシフトの市民団体「あざみ野ぶんぶんプロジェクト」をやっていた時のことでした。原発に頼らないエネルギー社会を目指すため、原発由来の電気を使わない、電力会社を変える、エネルギーを自分でつくるなどの活動の一環で、2012年から2014年まで、「独立型ソーラーシステムをつくろう!」というワークショップを青葉区の各地でやっていました。2013年6月、青葉台での開催時に、麻子さんが参加してくれたのです。
麻子さんは活動に共感してすぐに森ノオトのNPO会員「森のなかま」になってくださいました。その後、麻子さんが自宅で料理教室をやっていると聞き、2014年には麻子さんの料理教室「kotorino kitchen」を取材して、料理研究家として森ノオトに登場してもらったことも。2015年には「地域をつむぐローカルジャーナリズム講座」で関内まで通ってきた麻子さんに、「発信することに興味があるんだ!」と驚いたことを覚えています。そんなふうに、少しずつ森ノオトとの関わりが深まっていった麻子さんは、2017年に森ノオトのライター養成講座を受講し、この年の春から「森ノオトライター」として活躍するようになります。
―― 麻子さんが森ノオトのライター養成講座の修了レポートで手掛けた記事が、「おはなしのへや ぽっぽ」でした。
麻子: ライター養成講座の課題で二つ、取材先の候補を挙げたんです。「ぽっぽ」と、もう一つはタイの雑貨を買い付けている友人で。まどかさんが「家庭文庫の記事を読みたい!」と言って、それが運命の出会いになりました。
―― 「ぽっぽ」の取材のこと、覚えていますか?
麻子: 覚えていますよ。講座では「2時間くらいで取材して」と聞いていましたが、まったくそれができなくて。何度も何度も通って、話を聞かなければ書けないんだなあ、と思いました。特にぽっぽは想像以上の世界があったので、毎週のように通い詰めて、「ぽっぽのおねえさん」こと二塚はる子さんの「語り」を聞いて、すごく仲良くなりました。
取材をしてみたら、ぽっぽに来る子どもが少なくなって困っているようでした。子どもに来てもらうには、まずはお母さんに関心を持ってもらいたいと思って、「大人向けのお話会をやったらいいんじゃない? 私、お菓子をつくるからやりましょうよ」という、気軽なノリで提案して、それが今まで続いています。
―― 麻子さんがはる子さんと出会って「絵本と語り」の世界にはまってしまって、一方で麻子さん自身も、ぽっぽそのものを変えてしまったんですね。
麻子: 私もぽっぽも、お互いにすごく影響を受け合ったんじゃないかなあ、と思います。そして、私自身、その後も絵本がライフワークになってしまいました。大人向けのお話会は、今は美しが丘西のカフェブランコさんでも開催するようになりました。少しずつ、お話の文化が広がっているのを感じます。
ぽっぽの大人のお話会に通って、その後小学校の図書ボランティア活動も再開して、図書館の絵本講座に行ったり、以前齋藤由美子さんが取材した相模原市の絵本屋「よちよち屋」さんの講座にも頻繁に通ったりしました。
―― 麻子さんと出会ったころは、ご自宅で料理教室をしていたり、オーガニックな暮らしやマクロビオティックを実践する、「料理の人」というイメージがありました。今では麻子さん、すっかり変わりましたよね。でも、絵本の世界に夢中になってはいても、それと「食」をつなげる記事に、出会ったころの麻子さんらしさも残っていて。
麻子: 私は好奇心が旺盛なタイプだと思うんです。料理もすごくハマったんですが、まあ、いいかなと(笑)。もともと管理栄養士で、製菓学校に通っていたこともあるし、食品の会社で働いていたり、高齢者向けの施設にレシピ提供をするなど、食を専門にしてきました。出産後は、ママ友向けに子連れでも参加できる「やさしいおやつ」講座をやったり、自宅で料理教室を開いたり。今考えると、パワフルだったなあ、と思います。
森ノオトでライターの活動を始めて、ライターをやりながらの料理教室は両立できないな、と思いました。もともと書くことは好きだったので、ライター活動は楽しくやっています。そして、たまたま初めての取材で「語り」の世界に運命的に出会ってしまって、それもライフワークになりました。
今、私は「語り」にハマっていますが、実は今まで経験してきた料理の世界も、私の語りに生かされているように思います。お菓子が出てくるお話にはより興味がそそられるし、今自分でつくっているお話にもお菓子由来のエピソードが出てきたり、はる子さんとのお話会では私がお菓子をつくっていますしね。年齢を重ねるにつれて、今までの自分の経験がぎゅっと凝縮して、紐づいて、形になってくる感じがしますね。
なので、今は料理教室をやっているわけではありませんが、今までの経験がゼロになったわけではなく、他のことに生かされているという感じが自分でもしているんです。
―― 麻子さんは森ノオトでライター活動を始めて2年ちょっとですが、反響の大きな記事をたくさん手掛けてきましたよね。そのなかでも麻子さんが印象に残っている記事はありますか?
麻子: 「ぽっぽ」の記事は反響が大きかったですね。子どもが通ったたまプラーザの「かえで幼稚園」に記事を読んで来てくれた方がいるのも、とてもうれしかったです。
あと、取材した相手が記事をとても喜んでくれるのがすごくうれしくて。家の近くにある荏子田の「太陽ローズガーデン」は、本当に重厚な活動で記事にまとめるのは難しかったのですが、その記事を読んだ公園愛護会会長の増田健一さんが「よくまとめましたねえ」とコメントをくださって、それがお父さんに褒められたみたいにうれしかった(笑)。JOR(Joy Of Roses:バラの会。荏子田エリアのバラの愛好家による非営利団体)代表のの赤澤増男さんも気にかけてくださって、保育園のお話会に誘ってくださったり。自分が住んでいる地域でのつながりが深くなっていくのは、ありがたいですね。
まどかさんが「水無月」の記事を高く評価してくれたのも励みになりましたよ!
―― 「水無月」の記事は、きっと青葉区の和菓子業界に影響を与えたと思いますよ。あの記事を読んだ直後に、区内の和菓子屋さんを3、4軒尋ねて「水無月ありませんか?」って聞きましたもん。そうしたら、津矢子さん(麻子さんの同期の森ノオトライター・新楽津矢子さん)も水無月を買い求めていて(笑)。
麻子: 今年の夏は、何軒かで「水無月」を見かけましたね(笑)。
記事を書いている時に、自分の過去の思い出などを書き加えられることも、ありがたいです。亡くなった両親との思い出をコーヒーゼリーの記事に込めたり。かきもちの記事も、自分の両親ってこのお話に出てくるおじいちゃん、おばあちゃんたちみたいだったなあ、とか。
それから、取材をすると、その相手のことをますます好きになります。城所律子さんは、地域活動の大先輩で、立派な音楽家の息子さんを育てられて、ご本人も立派な方なのですが、取材をすることであらためて彼女のすごさを知り、活動の素晴らしさも深く理解できるようになりました。
―― ぽっぽ、城所さん、荏子田太陽公園と、取材を重ねるうちに、麻子さん自身も彼らと一緒に、どんどん地域活動の「担い手」になっているのが、素晴らしいなと思います。
麻子: ボランティアの人生、って感じですね(笑)。
取材がきっかけで荏子田太陽公園のボランティアに関わるようになりましたが、メインで活動されている方々は私よりもう少し上の世代で、私は「担い手」とは言えないんですが。私自身は今、バラそのものよりもお話に夢中なので、「太陽ローズハウスで子ども向けのイベントをやるから、山田さん、絵本読んでくれない?」と声をかけられた時に、喜んでお手伝いしているくらいの気軽な関わり方です。太陽ローズハウスで城所さんが文庫活動を始めたので、そのお手伝いも月に一度しています。それがいいのかな、と思っていて。地域でご挨拶できる関係の方が断然増えたので、それはとてもよかったです。
―― 豊かな人生だと思います。
麻子: 時々、私は自分でお金を稼いでいない、と後ろめたさを感じることもあるんですが、逆に仕事を始めたら今やっている活動はできなくなるな、と思っていて。ボランティアと言いながら、自分が好きなことしかやっていないから、楽しくて仕方がないのですね。
世の中にはお金になる仕事とそうでない仕事があって、そのどちらもなくては世の中は回らない、と、はる子さんに教えてもらいました。だから、私は堂々とボランティア活動をやろうかな、と。主人は私の活動に対して決してダメとは言わず、逆に「いいね」と応援してくれるので、楽しくやれています。
私は、取材を通した地域のつながりが、自分の世界を豊かにしていってくれていると感じています。
森ノオトを奏でる人たちインタビュー集
(2)藤崎浩太郎さん「「“当事者性”を高める瞬間を増やすことを期待したい」」
(3)山田麻子さん「「取材でライフワークとの運命的な出会い」
(4)清水朋子さん
(5)南部聡子さん
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