
午前11時30分、青葉区役所1階区民ホール。普段はソファが並べられ、訪れた人が一休みしているこの空間が動き始めます。女性スタッフの皆さんが手際よくパイプ椅子を出すと、並べた端から座って待つ人も。この日は、月1回の「あおば音楽ひろば」が開かれる日です。

パイプ椅子を準備中
取材に伺ったのは2024年12月18日、第300回記念コンサートの日です。開始20分ほど前になると、席がかなり埋まってきました。シニア世代の方が多いですが、ベビーカーを押した女性、幼児を連れた親子もいます。12時に区役所の昼休みが始まると、館内放送でも開催の案内が。ロビーの数カ所にプログラムを入れたラックが置かれ、スタッフの方々も座っている方に「こんにちは、よかったらプログラムどうぞ」と声をかけ、手渡ししていきます。

この日の出演者や曲目が張り出されています
開始時刻にはほとんど椅子が埋まり、司会者の声で「あおば音楽ひろば」がスタート。華やかなステージ衣装に身を包んだ出演者が登場します。
区民ホール後方には椅子とテーブルもあり、そこにお昼ご飯を食べに来て居合わせたらしい人もいます。そんな人も演奏が始まると、顔を上げて演奏者を確認し、耳を傾けているようでした。

区民ホール後方のテーブルからもコンサートの様子が見られます
いつ来ても質の高い音楽を
「あおば音楽ひろば」は毎月1回、原則として第3水曜日の12時15分から、区役所1階の「区民ホール」と呼ばれるロビーで開かれていて、訪れる人は誰でも無料で聴くことができます。出演するのは、青葉区在住のプロの音楽家。あおば音楽ひろば実行委員会が主催し、青葉区の共催のもとで開催しています。
毎回のひろばでスタッフを務めているのは、実行委員の7名の皆さんです。

あおば音楽ひろば実行委員会の皆さん
委員長を務めるのが、写真左から3人目、青葉区荏子田で有限会社伊藤ピアノ工房を営む、ピアノ調律師の伊藤正敏さん。副委員長は写真右から3人目の秋元敬子さんで、薬剤師のかたわら長年コーラス団体の代表を務め、区内の団体による音楽祭「青葉コーラスのつどい」の立ち上げや運営にも尽力された方です。
青葉区は1994年に、緑区から分区する形で誕生しました。青葉区誕生時にはさまざまな記念行事が開かれましたが、伊藤さんや秋元さんが所属する「青葉音楽を愛する会」は、区民ホールでロビーコンサートを行いました。「区役所1階の区民ホールで区民が音楽を共有できる」と大変好評だったため、会のメンバーから「継続して開催してはどうか」と意見が出ました。そこで1995年に「あおば音楽ひろば」がスタート。毎月150〜200人が訪れるようになり、それから30年にわたって継続されてきました。
あおば音楽ひろばが大切にしているのが「質の高い音楽」を提供すること。出演するのはプロとして活動する音楽家で、学生は対象外です。出演者は毎年公募していて、若い音楽家を中心に幅広い年齢の方から応募があります。ジャンルはアンプを使わない「クラシックを基礎とする音楽」と決め、「あおば音楽ひろば」のコンセプトを明確にしています。
まずは演奏の録音を、音大の教授などによる審査委員に評価してもらい、最終的には実行委員会が、一般の方の反応を考えて決定するのです。
「誰でも参加できるロビーコンサートは多くあります。しかし私たちはプロに演奏してもらい、出演料も払うことにしました。それが質の高い音楽を持続させることにつながったと思います」と伊藤さんは話します。
年間スケジュールも工夫しています。出演者の都合を聞きながらも、同じ楽器編成のプログラムを連続させない、歌のプログラムは花粉症のある春を避ける、などと考えながら組んでいるのです。
区民ホールは区役所のロビーでありながら、天井が高く、音もよく響く場所。使用しているピアノは、旭区の「サンハート」で使われていたもので、買い替えのときに「ぜひ」と譲り受けました。「フルコンサートグランドピアノ」と呼ばれる、大きなホールで使われるサイズの上質なものです。
このようにさまざまな面から、いつ来ても質の高い音楽が聴けるようにしています。
「毎月来てくださる方がいらっしゃるのは、いつ来てもいい音楽が聴けると信用してもらえているからかなと思います。それは誇れることですね」(秋元さん)

「あおば音楽ひろば」のスタート時から現在まで関わっているのは、実行委員会委員長の伊藤さん(左)と副委員長の秋元さんの二人だけ
「ジュニアフェスティバル」で音楽好きの子どもを増やしたい
約20年前からは、毎年夏に「あおば音楽ひろばジュニアフェスティバル」も実施しています。これは夏休み期間中に、小学生から高校生までの子どもたちがあおば音楽ひろばに出演するものです。2日間にわたり、約8人(8組)が演奏を披露します。
出演者はオーディションで決定します。オーディションは毎年5月に、青葉区民文化センターフィリアホールで実施。演奏が終わるとその場で審査委員の先生にコメントをいただくことができ、子どもたちの成長の機会となっています。また、フィリアホールという素晴らしい会場で演奏ができることも、魅力の一つです。
もともとこの企画は、市内の他区で子どもたちが出演する催しがあると聞き、青葉区でもやってみようと始まりました。
このオーディションには「どんなレベルでも参加できます」と伊藤さん、秋元さんは口を揃えます。
少子化が進む中、ピアノを習う子の数も減っています。プロを目指してコンクールに出場する子はいても、その裾野は縮小してきているのです。
「誰でも参加できて、先生に褒められたり『もう少しここをやるともっと楽しいよ、伸びるよ』と言ってもらったりする機会をつくることで、子どもたちに、音楽が大好きになってもらえたらいいなという理想があります」と伊藤さん。
過去の出演者の中には、2024年に浜松国際ピアノコンクールで3位に入賞した小林海都さんをはじめ、国内外で活躍している人もいるそうです。
今年からは参加条件を、青葉区在住者から緑区・都筑区にも広げ、より多くの子どもたちが参加できるようにしています。
日常の場で音楽が流れる、素敵なまちに
実行委員会の7名は毎月会議を開き、区役所地域振興課の担当者も加わって、さまざまなことを決めて動いています。伊藤さんと秋元さん以外の5人は、最初は開催時のボランティアとしてあおば音楽ひろばに関わり始め、実行委員にも加わりました。ご自身やお子さんが音楽に関わっていた経験があるなど、音楽の好きなメンバーばかりです。
実は伊藤さんは自身のお仕事を生かして、「サンハート」からピアノを譲られる前は、自身の所有するピアノを貸し出していました。また、出演者のリハーサル会場として自身のアトリエを提供することもあります。
30年にわたって、ボランティアで実行委員会に携わり続けている伊藤さんと秋元さん。二人を動かしているのは、どんな思いなのでしょうか。
「自分たちが住んでいるまちだから、素敵なまちがいい、素敵なまちをつくろうという思いに尽きますね。こういう日常の場で、立ち寄ったら素敵な音楽を演奏しているのも、素敵なまちの一つの姿だと思います。
文化といっても、絵画やスポーツなどさまざまな分野があります。大げさに言えば、人間として生きていく上で、文化がないと本当につまらない。お金だけあればいいわけではないと思うのです。文化は豊かな暮らしの基礎になるのではないでしょうか。
青葉区を文化のあるまち、しかも文化を発信できるまちにしようという、初代区長の言葉は今もよく覚えていますし、私たちもそうしたいと思います。実行委員みんながボランティアでも続けているのは、『きっと何かのためになっている』と信じているからだと思います。
そして、子どもたちにも文化、そしてその楽しさをわかってほしいです。プロにならなくても、それは一生の宝になります」(伊藤さん)
「文化の土壌のあるところで育つ子どもたちは、意識していなくても何となくそのように育っていくのではないかと感じます。青葉区には文化に触れる場所がいろいろと用意されているし、人材も多いので、文化のわかる人が増えていくといいなと思います」(秋元さん)

区役所という日常の場で音楽が流れる
区役所の1階には福祉保健センターがあり、そこを訪れる親子が通りがけに「あおば音楽ひろば」を知って訪れることも多いそうです。実行委員会ではこうした親子連れも歓迎しています。
「赤ちゃんが泣いていても私は構わないと思っています。子どもが小さくてコンサートに行けないお父さんやお母さんが、ベビーカーを押しながら街角で聴くことができる、子どもがちょっと騒いでも怒られない。それって素敵なまちじゃないですか」(伊藤さん)
子どもの声でうるさくなることも覚悟していたそうですが、実際には「意外と静か」で、苦情が出たこともないそうです。
30年の間には困難にぶつかることもありましたが、それらを乗り越え「続けてこられたのは奇跡的ですね」と伊藤さんは話します。
そして迎えた第300回。この日は、過去にジュニアフェスティバルオーディションでゲスト演奏した3人によるコラボステージを企画しました。テレビなどでも耳にする、一般の方にも馴染みのある曲が続きます。

この日の出演者は声楽の青木結愛さん、バイオリンの早川愛美さん、ピアノの猶井幹達さん
そして最後はクリスマスメドレー。声楽の青木結愛さんが自ら編曲したメドレーには、クラシックだけでなくポップスのクリスマスナンバーも。会場から手拍子が起こり、普段以上に盛り上がっているのがわかりました。子どもたちは立ち上がり、音楽に合わせてジャンプして楽しそうでした。

プログラムが進むと立ち見客も増えていきました
「あっという間の300回でしたね。30年前と比べると、区の状況なども変わりました。私たちが頑張らないとなくなってしまうのではないかと思っています」(秋元さん)
「世の中はどんどん変わっていくし、それに合わせてやることも、方法も変わっていきます。変わっていかなければいけないものもたくさんありますが、変わってはいけないものもある。それを見極めることがとても重要だと思います」(伊藤さん)
まちの文化を育てることは、効果の見えにくいことでもあります。また、衣食住に直結しないことから、行政がどこにどう費用を投じるか、厳しい目が向けられることもあります。
そんな中、30年継続されてきた「あおば音楽ひろば」。「生きていく上で、文化がないと本当につまらない」という伊藤さんの言葉が心に残りました。自分の住む地域で、無料で、質の高い音楽を聴き、誰もが楽しめる。出演料を払って演奏してもらうからこそ、今後の青葉区の文化を担う人材を育てることができる。生きる希望にもなりうる文化の力を、過去から未来まで、分け隔てなく届けているのが「あおば音楽ひろば」だと感じました。実行委員会の皆さんが仕事ではないのに継続して支えていらっしゃるのは本当にすごいことで、この形だからこそこれまで継続できているのかもしれません。
12時50分、第300回記念コンサートが終わり、お客さんが帰っていくと、スタッフの皆さんが再び慣れた手つきで椅子を片付け、ソファを元に戻していきます。301回、302回と、「あおば音楽ひろば」はこれからも続いていきます。

あおば音楽ひろば
ホームページ
https://www.city.yokohama.lg.jp/aoba/kurashi/kyodo_manabi/manabi/bunka/aobaonngakuhiroba.html
X(Twitter) https://x.com/aongakuhiroba
あおば音楽ひろばジュニアフェスティバル 2025年8月6日(水)、7日(木)
ジュニアフェスティバルオーディション 2025年5月10日(土)
※詳しくは上記ホームページをご覧ください。

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