
第1回に登場するのは、2024年から森ノオトの監事を務める薄井智洋さんです。もともとは市民活動を支援するNPOの職員。現在は自然素材を生かしたエッセンスや健康食品などの開発・製造などを行う会社を経営し、一方で森ノオトを含めたいくつかのNPOの役員も務めています。まったく違うキャリアに転向したようにも見えますが、お話を伺うと、人生の分岐点に直面しながら「志」を深めていく姿が浮かび上がってきました。
最初の志は「社会で活躍する人を支えたい」
薄井智洋さんが代表取締役社長を務める株式会社森の素材研究所のオフィス兼ラボは、横浜市磯子区洋光台にあります。9月中旬に訪ねると、薄井さんが爽やかに出迎えてくださいました。玄関スペースには植物がおしゃれに飾られ、確かに「森」を感じさせます。

ラボの玄関(写真提供:薄井さん)
薄井さんと市民活動との関わりの始まりは、大学生のころに遡ります。薄井さんの両親は薬剤師。母親から薬の成分などの話を聞き、がんの診断薬を研究する父親の姿を見る中で、自然と背中を追うようになりました。高校では迷わず理系を選択。進学校で勉強と部活のバレーボールに忙しい日々を送った後、理工系(生命科学専攻)の大学に進学しました。
大学4年生の頃、大学院の修士課程の先輩たちと接する機会も多くなり、そこで気づいたことがあったと薄井さんは話します。
「なんか自分、ここに合っていないんじゃない?あれ、この世界しか知らないかも……と思い始めました。私は中学校、高校とバレーボール漬けで、勉強にも厳しい学校でした。今の時代なら、それでもSNSなどでいろいろな世界、さまざまな仕事をする大人を知ることができると思います。しかし当時は大人が何をしているかわからず、父の背中しか見ていませんでした。ただ父は天才型で、モデルにするのは難しかったです。
実は私は、人と話すのがとても好きでした。バレーボールの練習でも、みんなと対話しながら調子を見て、得意なことを生かしてトスをあげるセッター役をよくやっていたのです。自分の得意なことはそこにあったのだと、今なら気づけます」
「いろいろな世界を見ないと」と思った薄井さんが行ってみたのが、多くの国際協力NGO・NPOが参加するイベント「グローバルフェスタ」でした。そこでさまざまな大人たちと接する中で「こういう世界もあるのならもっと勉強したい」と、理工系以外の道を模索し始めたのです。
調べる中で、先進的な企業のCSR活動に衝撃を受けました。またNGOの方々と仲良くなり、NGOやNPOについて学べる本を読み始めました。
修士課程に進めば、毎日研究漬けになります。父に相談すると家族会議が開かれ、両親から「智洋は研究一本ではなく、もっといろいろな世界を見た方がいいと思っていた。自分の人生、好きに動くといい」と声をかけてくれました。「自分を尊重してくれて、とてもありがたかった」という薄井さん。大学卒業後の進路を変え、専門学校で公共ビジネスを学ぶことを決めました。
専門学校では授業の一環で、デザイナーの方々との展示会で得た収益を難民支援のNPOに寄付する活動を行い、活動団体を法人化する経験もしました。
一方でNPOに関して「もっと知りたい」「仕事をしながら経験したい」という思いも湧いてきました。

24歳のころ。デザイナーたちとともにNPO のクリエイティブをサポート(写真提供:薄井さん)
そんな中で薄井さんが考え続けていたのが「志」でした。
薄井さんが中高生のときから好きだった吉田松陰は「志を立てて以て万事の源と為す」など、志に関する名言を多く残した人物です。志は人からもらうのではなく自分から生み出すもの、歩むうちにわかるものだとして、相手の中にある志を問いかける松陰の考え方が、薄井さんは好きでした。
そして、大学生でグローバルフェスタを訪れたのと同じころ、キューバ革命を成功に導いた革命家チェ・ゲバラを描いた映画を何度も見に行き、著書もすべて読みました。ゲバラにも「志」を感じたのです。
「志を自分の中に持たないと、社会のためにできることを考えないと、と思っていました。専門学校でもそれを考え続けるうち、『社会で活躍する人を支えよう』という気持ちになり始めたのです」
そんなころに見つけたのが、認定NPO法人市民セクターよこはまの職員募集でした。当時の横浜市市民活動支援センターの運営をはじめ、地域や社会の課題解決に取り組むNPOや市民活動団体を支援する「中間支援」を行っているNPOです。「導かれるように」応募し、採用が決まりました。
2011年に入職すると「毎日が勉強だった」という薄井さん。他のNPOの方からの相談に答えるためには、新人といえども細かいところまで知識が求められました。

森ノオトの北原が受講した「プロのNPOをつくるための10の講義」。「今でもNPO認証の重要書類と一緒に、このレジュメを大事にとっておいています。私のNPO運営の原点」と語る伝説の講座
2012年、先輩が企画した「プロのNPOをつくるための10の講義」という講座のスタッフに加わった薄井さん。ここで、森ノオト理事長の北原まどかと出会います。当時NPO法人設立前だった北原と話す中で「情報発信をしながらリアルな場もつくろうとしていると知り、それは必要なことだと感じていた」のだそう。北原も薄井さんのことを、若いながらも知識が豊富で頼りになる人だと感じていました。
「目標に向かってみんなで対話をしていく場が好きだった」という薄井さん。講座で話すほか、行政と企業が車座で対話する場など、司会やファシリテーションを年間約100回も務めていました。「上司についてきただけ」という感じの新入社員にも、薄井さんはあえて話を振るように。すると、上司が驚くほど面白い答えが返ってきたこともありました。その新入社員からは、答えを引き出してくれた薄井さんにお礼のメールが届いたそうです。
そうした薄井さんの振る舞いは、バレーボールでのセッター役、そしてさらに以前から現在まで続く感覚に由来しているようです。
「小学生くらいから、会議などで誰かが発言していないと、とても気になるタイプでした。きっと心の声はあるはずだと思っていたのです。その人が持っているクリエイティブな心を出してほしい。抑圧された場では出ないので、本当の思いが引き出せる場をつくり、誰一人置いていきたくないのです」
そんな中で、専門学校時に立ち上げた法人での活動に戻るのはやめ、NPOの支援に打ち込むようになりました。
娘の病気をきっかけに、人生の分岐点で見えた新たな志
2018年、そんな薄井さんを襲ったのが、当時1歳半だった娘さんの病気でした。
「ただの咳だと思っていたのに、あれよあれよという間に娘がたくさんのチューブにつながれて病室のベッドで寝ていました。胸が締め付けられるようで大きなショックを受け、娘の病気に気づけなかった、という後悔もありました」
当時の中間支援の現場は多忙で、帰宅が深夜に及ぶこともしばしば。別のNPOで保育室を経営する妻が、一人で家事と子育てを担っていたのです。
ようやく娘さんが退院した日の夜に、以前から知り合いだった、NPO法人スマイルオブキッズの監事からメールが届きました。それは「自分の後任として監事を引き受けてみませんか」というものでした。
NPOの監事は、業務や会計が適切に行われているか監査するのが主な役割です。スマイルオブキッズは、横浜市南区にある神奈川県立こども医療センターの近くで、難病で入院している子の家族が宿泊でき、その子のきょうだい児の保育も行う「リラのいえ」の運営などの活動をしています。娘さんのことがあって「すごいタイミング」と感じた薄井さんは、監事を引き受けることにしました。

スマイルオブキッズ15周年記念式典。後列右端が薄井さん(写真提供:薄井さん)
ただそのころ、薄井さんはますます多忙になり、ある日、急な発作に見舞われます。
急に不安感が増幅するパニック障害を発症したのでした。
「NPOには、弱っている人を守ろうとしている人が多いです。そのためNPOの支援をしていると、驚くほど辛い現実を知る機会が多くありました。そうした中でもしかしたら、自分が少しずつ傷ついていたのかもしれません。ただ、最大の一撃は、自分の娘の病気に直面して、将来のことを考えると、自分はこのままじゃいけないと思いつめたことだったと感じています。まさか自分がパニック発作を経験するとは思いませんでした」
人混みや高速道路が怖い、狭い空間がつらい、という日々。「これはもう働けない状態」だと感じ、2021年の8月に退職することになりました。
そのことを父親に話すと、意外な提案がありました。当時開発していた、自然素材を生かした健康食品のエッセンスを薄井さんに託したいというのです。それから1年間、薄井さんは父親のラボで、基本的な化学実験の方法などを改めて学びました。一方、自身のケアも行いました。SNSをやめ、整体院に通い、運動を始めてマラソンにも挑戦しながら、人の心身の健康に関する本を読みあさる中で「取り戻すものがあった」と薄井さんはいいます。また、父親が開発するエッセンスを飲用するうち、夜眠りやすくなると感じました。そして約1年半後に、パニック障害を克服することができたのです。こうした経験から、新たな「志」が生まれました。
「病気で苦しむ人を救うことは自分のもう一つのテーマだと考えるようになったのです。志として、エッセンスを、病気で困っている人や未病の人のために役に立てようと考えました」
2022年5月に株式会社森の素材研究所を設立。父親の開発していたエッセンスをバージョンアップして「ヨモギと笹のエッセンスⅡ」を完成させ、2023年11月から販売を始めたのです。

「ヨモギと笹のエッセンスⅡ」。ヨモギや笹には腸内免疫やリラックス・安眠などの健康作用が知られている
志に沿うNPOに参加し、支える
会社設立後、薄井さんはスマイルオブキッズから「理事にならないか」と声をかけられました。NPOの理事は業務を執行する役員で、監事よりも多くの業務があります。会社経営をしながらできるのかと考える中で見えてきたのが、娘さんの病気の経験から湧き上がってきた、もう一つの「志」でした。
「『子どもたちの置かれている環境の改善』が、私の中のテーマの一つになっていました。それは病気の子のご家族、きょうだい児も含めてです。スマイルオブキッズがあるおかげで、ご家族の心を癒やすことができる。自分の経験からも、あるべき活動、あるべき団体だと感じ、なんとか自分も支えたいと思いました。また、中間支援をしていた10年間を生かすこともできると思いました」
引き受けるにあたり「名前だけの理事はやりません」と伝えた薄井さん。運営会議のメンバーと毎日のようにやりとりをするほか、「お金について経営者だからこそ見えることがある」と、理事の中でも会計責任者となり、一定以上の金額の決裁も行っています。
さらに薄井さんは、自宅や会社のラボがある磯子区洋光台エリアで活動する、一般社団法人まちまどの監事も務めています。薄井さんは地域の人が集まる会に参加したときに、市の「ヨコハマ市民まち普請事業」という助成金を受け、シェアキッチンを整備しようとする人たちに出会いました。「社会で活躍する人を支えたいと志を決めたのだから」と考え、その活動を支えたそうです。その後苦労はありましたが、助成金を受けることができ、2024年には「シェアベース洋光台」としてオープンしました。現在は業務や会計の監査に加え、メンバーを誘ってマラソンをしたりもしています。

2度のプレゼンテーションを通過し、「まち普請」の助成金交付が決定。地域住民として挑戦した

まちまど の活動拠点「洋光台 まちの窓口」
加えて、フリースクールと学童保育を運営する認定NPO法人鎌倉あそび基地の監事も務めています。NPO職員時代の先輩からの紹介で出会った、やはり「子どもたちが置かれている環境の改善」という薄井さんの志に沿う活動をする団体です。
薄井さんは団体の方の「自由に子どもたちのクリエイティブを引き出す」という言葉に強く惹かれました。「まさに私のやりたかったこと。それをしてくれている人たちを応援することは、自分が夢を追っているのと一緒だ」と感じたのです。

鎌倉あそび基地の監査は現地で長時間。スタッフの皆さんの働く環境も確認(写真提供:薄井さん)
市民活動は志や居場所を見つけられるもの
いくつもの役割を持ちながら、2024年からは森ノオトの監事も引き受けました。
2012年に出会った後も、森ノオトスタッフと薄井さんは、NPOが集まる会議や講演会などで年に数回は会っていました。
薄井さんは森ノオトを『チャッカマン』のような存在だと表現します。それは薄井さんが大切にしている「志」に関連する表現です。
「人は志がないと自発的に動けないと思います。一方でそれは、自分から動いたときに生まれるものでもあります。森ノオトはイベントなどリアルな場もつくっているし、記事としてメディアで発信していくこともできます。森ノオトを介して、人同士が自然とつながる中で、『自分はこういうことをやってみたかったのかもしれない』と気づける人もいるはず。志を持つ人を増やすきっかけを持っているのです」
森ノオトは自然と人を動かして人同士をつなぎ、心に「やってみたい」の火をつけるのだという薄井さん。ただ、仕事や家事、子育てなどに忙しいと、地域で人とつながって活動するのは難しいと感じる人は少なくありません。
「会社や家庭以外にも、自分のスキルを生かして感謝される場があると素敵ですよね。まずは自分自身の表現の場として市民活動をスタートしてもいいと思います。少しずつ現状を知り、自分の役割や関わりしろを探す中で“待っていたよ”と言ってもらえる居場所が見つかるのではないでしょうか。そこで認められることは、人の幸せの一つだと思うのです。無理せず、楽しいと思ったことにチャレンジしてみてほしいです。スマホをスクロールする時間があるのなら、子どもと一緒に外に出てみたら楽しいですよ」

森ノオトの理事会は年に4回、オンラインで2時間濃密な議論が交わされる。どんなに忙しくとも理事会に参加して、監事としての客観的な立場からアドバイスをくださる薄井さん
薄井さん自身も「居場所」の価値を感じています。「私もまちまどに参加していることで、洋光台で居場所があるのです。疲れて帰ってきたときに、まちまどに寄ると仲間たちがいて、いろいろと話せるし、話しかけてくれる。何かを吐き出せる場所があるのは幸せなことだと思います。スマイルオブキッズも、自分の志の軸の一つを常に考えられる場所。流されがちな日常の中でも、立ち返ることができる場所がいくつもあるのです」
志のもとに歩む毎日は楽しい
会社を経営しながら4つの団体で役員を務める薄井さんですが、それぞれに「全身全霊」で関わるため「ここまでと決めた」といいます。
「人々の健康を守ること、子どもたちの環境改善。この二つが今、私の中で柱となっています。その柱の中央でうっすらと消えないのが、NPOの中間支援をしていた10年間です。すでに血となり肉となっているのでしょうね」と薄井さん。例えば自然食品の開発や販売にあたり、クリニックや整体院などさまざまな方とつながっていくことは、市民活動支援で多くの人と関わってきた薄井さんの得意なことでもあります。

「仮面をかぶるのをやめました。営業モードなどはなくて、あるがままの状態で誰とでも話しています」と薄井さん
ビジネスやサイエンス、市民活動などさまざまな世界を行き来する中で「越境」も薄井さんのテーマの一つになりました。「私は越境して、いろいろな社会を見られる立場にいます。その中で対話しながら、つながった人たちと、さらにいい社会を一緒にクリエイティブしたいですね」。
森ノオトについても「まだまだ活動が広がっていくと思うので、未来が楽しみです。私も本気で関わって、一緒にアクションしていきます」と話します。
今は「日々楽しい」という薄井さん。「やることはたくさんありますが、それも志なので、まったく苦にはなりません。のらりくらりとした人生にも見えますが、努力で得たものがあり、分岐点があり、ゲバラさんや松蔭さんが見ても『ちゃんとやってるな』と言ってくれるよう、日々頑張っています」と薄井さんは話します。
私は最初に薄井さんの経歴を知ったとき、NPO職員から会社の経営者へと、まったく新しい道へ踏み出していらっしゃってすごい、それでも役員としてNPOなど市民活動に携わり続けているのが素敵、と思っていました。ただお話を伺って、止むに止まれぬ中での転身だったこともわかりました。
それでも、急な方針転換とは感じませんでした。それは、変わらない「志」に沿っていたからだと思います。専門学校生のころに立てた志は変わらず貫かれています。人生の分岐点で見えてきた新たな「志」も、最初の志を、分野を絞ってより明確にしたもののように見えます。そして、「その人のクリエイティブを引き出す」という信念も変わらず実践されているのです。
「志」というと、「自分にはそんな大層なものはない」「真似できない」と思う人もいるかもしれません。ただ薄井さんは、森ノオトをはじめとした市民活動に参加し、人と会って話して自ら動くことで、志が見えてくると話しています。
「志」だけでなく、「大切にしていること」や「自分の中にあるもの」も、市民活動を通して見つけられるのではないでしょうか。そう考えると、たとえ忙しくなったとしても、市民活動に参加することで、自身を理解できてより生きやすくなるのかもしれません。
株式会社森の素材研究所
https://www.morinosozai-labo.com/
NPO法人スマイルオブキッズ
一般社団法人まちまど
https://machimado-yokodai.localinfo.jp/
NPO法人鎌倉あそび基地
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