横浜の農文化を未来へつなぐ「100人のひとしずく〜大豆・味噌トラスト活動」今年も寄付を募るスタイルで行います!
在来種の大豆を育てるところから取り組んでいる地産地消の手前味噌が、今年もできあがってきますよ〜〜!森ノオトと料理家・みつはしあやこさんの呼びかけで2018年3月にスタートした「よこはま100人のひとしずく〜手前味噌プロジェクト〜」はコロナ禍のため2年前からトラスト活動へとシフトしました。開始当時と変わらず、地域の農や食、里山文化を継承したいという思いで毎年手前味噌を仕込んできました。今年も、皆さまからのご支援を心よりお待ちしています!

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クラウドファンディングはこちらから

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よこはま100人のひとしずく〜手前味噌プロジェクト〜」は、2018年のスタート当初、横浜市緑区新治の森の中にある「にいはる里山交流センター」で参加者が大勢集まり味噌を仕込み、翌年の同じ場で1年発酵させた味噌をシェアするという年1回のイベント型プロジェクトでした。

私も2年目から子どもとともに参加し、参加者の皆さんと一緒に大豆を潰し、糀(こうじ)と塩を混ぜ合わせ団子にして大きな木桶に投げ込む…という五感をフルに使った味噌づくりを楽しみました。そして翌年からは森ノオトのサポートスタッフとしても協力させてもらっています。

 

プロジェクト名で「100人の」と謳っているものの、コロナ禍に入ってからは、大勢で一緒に集まって味噌を仕込むことが社会的に難しくなってしまいました。そこで「100人のひとしずく〜大豆・味噌トラスト活動」と名を少し変え、2年前からは少人数のスタッフのみで仕込んだ味噌のクラウドファンディングスタイルに移行。2022年3月に「いつかまた皆さんと一緒に仕込めるときがきますように」と願いながら仕込んだ味噌が、1年を経て今まさにできあがろうとしています。

 

※トラスト活動とは、その土地の自然環境や景観、生態系、それをとりまく文化財を守るために、地域の住民が寄付や寄贈等を通して保護・管理していくこと。

2020年まで大勢で仕込んでいた会場「にいはる里山交流センター」

「なぜ味噌を手づくりすることが、伝統的な農や食、里山環境の保全になるの?」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。改めて、このプロジェクトが何をしているのかを紹介させてもらいますね。

 

・大豆と畑

味噌づくりに使う大豆は、かつて煮豆や味噌といった郷土食の素材として神奈川県津久井地域で栽培されてきた「津久井在来大豆」です。 JA横浜田奈支店の近くにある遊休農地だった畑で活動している、三澤元芳さん(青葉区奈良町)をはじめとした若手の農家さんによる「遊休農地を活用する会」の皆さんに森ノオトの大豆を育ててもらっています

「遊休農地を活用する会」の畑で収穫後天日干しにされる大豆。昨年は豊作で21kgもの大豆を使わせてもらうことができました。森ノオトからは「無農薬で育ててほしい」とお願いしており、猛暑や鳥害の影響で不作の年もあったりと農家さんたちにはご苦労をおかけしてきました。でも、「約束した量をお願いして買い続ける」ことは、消費者と生産者をつなぐ取り組みとしてこれからも続けたいと考えています

 

遊休農地を活用する会の皆さん

収穫した豆は、三澤さんのお母様の三澤百合子さんにも協力してもらって豆の選定を行います。百合子さんは代々の農家である嫁ぎ先の自宅内に自らの工房をつくり、「浜なしの焼肉のたれ」や「ジャム」など、旬の作物を加工して販売をするという、女性農家の自立や立場の確立を実践してきた方でもあります。子どもたちの農業体験の受け入れや、農家の手仕事であるこんにゃくやお豆腐づくりなどを農家のお嫁さんや一般の方々に向けて教える活動もしていらっしゃって尊敬すべき「農家のお母さん」です。

三澤百合子さんとこのプロジェクトの主宰の一人であるみつはしあやこさん。森ノオトが主催した「地産地消の文化祭」の縁でつながった

・糀

味噌の味を左右すると言われる糀は、横浜市瀬谷区で文政年間から続く「川口糀店」の川口恭さんが作る米糀を使っています。川口さんの糀は200年以上前からの伝統的な手づくりの製法を受け継ぎ改良されたもの。良い材料と良い道具を自ら厳選して使ってつくられています。

2019年の会場に応援に駆けつけてくれた川口恭さん(左)と吉武美保子さん

・機械を借りての仕込み

2年前から味噌を仕込むために使わせてもらっているのが、青葉区の「寺家ふるさと村四季の家」にある農産加工室です。ここは一見すると調理室のようなのですが、実は大量の味噌を仕込むための専用設備が整った “味噌づくりのための工房”なんですよ!

 

今でこそ味噌づくりイベントはさまざまなところで開催されるようになりましたが、昭和62年(1987年)の四季の家建設時には、手前味噌づくりができる場は珍しく、この農産加工室を設置するために業務用の釜やマッシャーなど機材探しなどに奔走したのが、当時四季の家の職員だった吉武美保子さん(現在は、にいはる里山交流センターを運営するNPO法人に所属)なのでした。吉武さんは、初年度にいはる里山交流センターを会場として開催した時から力を貸していただき、一昨年からの寺家での大豆の仕込み時も手伝ってくださる手前味噌づくりの大先輩です。ずっとこのプロジェクトに加わって協力していただいていることは本当に幸いなことです。

寺家ふるさと村四季の家の農産加工室。写真左には「大王釜」と呼ばれる巨大な圧力釜が3セットも。寺家ふるさと村婦人部の方が味噌づくり講師として安全にも気を配る

 

蒸し上がった豆は粗熱を簡単にとりつつ、隣にあるチョッパーで大豆をモンブランのようにマッシュ。そのまま攪拌機に入れて塩麹と一気に混ぜ合わせます。少人数では難しい手作業も、ここでなら機械の力を借りて半日で完了!

 

今では国内生産量がごくわずかになった大豆ですが、吉武さんのお話ではかつてこの地では生産が盛んだったそうで、旧緑区(現在の緑区+青葉区+都筑区の一部)のあたりには大豆の組合があったほどだとか。栽培された大豆を使った「味噌づくり」は農村での当たり前な営みであり、主に女性たちが担ってきた味噌づくりを機械化で軽減させようと公的に整備されたのが四季の家の農産加工室だったのだそうです。四季の家では今でも味噌づくり講座が定期的に開かれており、私たちが使わせてもらった工房は、横浜の農村の暮らしを昔から今に受け継ぐ生き証人的な存在でもあったんだなあとその貴重さを改めて実感しました。

 

・木桶

毎年味噌を仕込み続けている木桶は、みつはしさんが徳島県の職人さんに頼んであつらえた100kgも入る大きなもの。それぞれ仕込んだものを各自で持ち帰るのではなく、一つの大きな桶にみんなで味噌を仕込むことがこのプロジェクトの大きな特徴で、みつはしさんは、「桶の中の味噌の“外側”より“内側”がおいしくなるんですよ」と教えてくれます。

2022年3月は、みつはし家でみつはしさんのお子さんたちが味噌を桶に詰めてくれました。毎年つくり継いだ味噌は一番上に被せて新しい味噌を封じ込めます。発酵して熟成している古い味噌はカビないので、蓋の役目を果たすのだといいます

<大豆・味噌トラスト活動のポイント>

・神奈川県の在来大豆は、その年収穫した豆自体が次の年の種になる(数年に一度種は更新する)

・本物の調味料をつくるには、生き物の力を借り、年単位の歳月がかかる
・最初の年に仕込んだ味噌が種味噌となり、毎年つなぐ新しい味噌が次の年の種になる
・木桶は一度使われなくなったらすぐにダメになる。木桶についた菌も味噌の味になっていく。木桶を生かしていくには毎年味噌を仕込む必要がある
・同じく、伝統的製法の糀づくりを続けていくのにも、職人の心と気力、それを支え求める消費者の思いが必要である
・里山の自然環境は一度開発されると元に戻らない。谷戸田がある風景を守るには、市民が里山環境に関心を持つことが大切である
・こうした味噌づくりを通して、横浜の豊かな農的な環境を未来に伝えていく意義がある

 

森ノオトは、農的景観と地域の文化を今につなぐ横浜の農家さんたちを13年にわたり取材してきました。また、「よこはまの地産地消を未来につなぐ」をめざし、食べる人とつくる人をつなぐ活動も続けています。この大豆と味噌をつくる取り組みもその中の一つ。これからもつないでいくために、賛同し応援してくださる方を必要としています。

Information

今年度は、味噌(昨年度仕込んででき上がったもの)500gをお分けするコースと、寄付のみのコースを用意しました。

味噌の数と金額も選べるようになっていますので、下記のクラウドファンディングページをご参照ください。

https://syncable.biz/campaign/4326

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この記事を書いた人
松園智美ライター
まちづくりの専門誌、自然派住宅雑誌編集部を経てフリーの編集・ライターに。その後結婚、出産し、3児の母。港北ニュータウンの団地に住む。レイアウトデザインも手がける。新潟県長岡市出身、1年の楽しみは親子で行くスキー。
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